こんにちは、会計士ブロガーの根本(@dujtcr77)です。
私は「人生の1冊を選べ」と聞かれたら迷いなく『論語』と答えます。
最低でも毎年、1年に1回は読み返しています。
『論語』って「なんか難しそう」となんとなく避けている人も多いのではないでしょうか?
私もはじめて『論語』を読むまでは難しいものだと思ってました。
あるとき少し背伸びをして読んでみたんです。
そうしたら、論語は古典の中でもかなり読みやすい本だということに気が付きました。
そこで今回は以下の流れで論語がどんな本か、そしてその魅力を紹介したいと思います。
- 『論語』について
- 『論語』の魅力
- 『論語』の名言
- 『論語』に出てくる「孔子」とはどんな人物?
目次
『論語』とは?
『論語』では孔子の言葉が紹介されていますが、孔子自身によって書かれたものではありません。
孔子とその弟子たちのやりとりを、孔子の死後に弟子たちがまとめた言行録です。
『孟子』『大学』『中庸』とあわせて儒教の「四書」のひとつ。
500以上の短文が全20篇にまとめられています。
それぞれの篇のタイトルは各篇の最初の2文字しくは3文字をとったもので、内容上の意味があるわけではありません。
論語は古典の中でもトップクラスに読みやすい本である
冒頭でも触れましたが「論語って難しそう」と思っている人は少なくないのでしょうか?
そんなイメージを持たれてしまっている事が、論語のもったいない所だと思います。
論語ほど読みやすい古典はないです。
御幣を恐れずに言えば論語は、
「自由に読める名言集」
なんです!
読む順番を気にする必要はない
通常、本には「流れ」があって、初めから最後まで順に読むことになります。
しかし論語にはその「流れ」がないので好きな部分だけ楽しむことも可能です。
論語の構成は孔子とその弟子たちの問答集(数行~長くても数十行)。20編からなるが、それぞれの編の内容はまとまったものでない。
前の問答を読まなければ、意味がわからなくなるということはないので、気軽に読むことが出来ます。
現代語訳だけ読むのもアリ
論語は原文・読み下し・現代語訳と合わせて載っています。
そのため原文が読めなくても現代語訳だけ読めば問題なし。
かく言う私も所見で原文だけでは読めません。
現代語訳を読んで、気に入った部分は原文に戻って音を楽しんでいます。
筆者に特に刺さったおススメ名言を厳選して紹介
とここまで力説してきましたがこれだけでは読む気にならないかと思います。
百聞は一見に如かず。
厳選してお気に入りの名言をいくつかご紹介します。
学んで思わざれば即ちくらし。思うて学ばざれば即ちあやうし
「学んで思わざれば即ちくらし。思うて学ばざれば即ちあやうし」
(学んでも考えなければ、ものごとははっきりしない。考えても学ばなければ独断におちいって危険である)引用:『論語』(岩波文庫)
これは色あせませんね。むしろ現代にこそ輝く言葉ではないでしょうか。
現代は「物知り」であることの価値は低下してきていると思います。
アフリカですらインターネットに接続出来るこの時代。
たいていのことは最強の物知り「Google」に聞けば済んでしまいます。
その分、私たちには「想像」や「創造」が求められる時代。知識があっても考えなければいけない。
⇒学んで思わざれば即ちくらし
しかしいくら考えようにも、最低限の基礎がなければそれはただの絵空事になってしまう。
⇒思うて学ばざれば即ちあやうし
我れ三人行えば必ず我が師を得
「我れ三人行えば必ず我が師を得。其の良き者を択(えら)びてこれに従う。其の善からざる者にしてこれを改む」
(わたしは三人で行動したら、きっとそこに自分の師を見つける。善い人を選んでそれに見ならい、善くない人にはその善くないことをわが身について直すからだ)引用:『論語』(岩波文庫)
私自身、10代の頃は気の合う仲間とばかりつるんでいて、価値観の異なる人とは積極的に関わろうとしていませんでした。
そんな中初めてこの言葉に出逢い、なんというか心のビンタをされたような衝撃が走ったのを覚えています。
素直に「ああ、今のままじゃいけない」と思いました。
私はいま青年海外協力隊としてルワンダで活動しています。
ここで活動する際にもを「其の良き者を択(えら)びてこれに従う。其の善からざる者にしてこれを改む」を意識しています。
日本ではなかった慣習や文化で良いと思うことがあれば積極的にトライして取り込む。
また反対に日本で培った価値観から判断して「善からざる者」だと思っても、むしろその人から何か学び取ってやろうと。
老者はこれを安し、朋友はこれを信じ、少者はこれを懐けん
「老者はこれを安し、朋友はこれを信じ、少者はこれを懐けん」
(老人には安心されるように、友達には信ぜられるように、若者には慕われるようになることだ)引用:『論語』(岩波文庫)
孔子の二人の門弟である子路と顔淵がそれぞれの志を述べ、「どうか先生の御志望をお聞かせ下さい。」と問われた時の答え。
何とも肩の力の抜けた、孔子という人物を象徴するような回答です。
これは意味もそうですが、響きとリズムが好きです。原文も
「老者安之、朋友信之、少者懐之」
と視覚的にも美しいですね。
過ちて改めざる、是れを過ちと謂う。
過ちて改めざる、是れを過ちと謂う。
(過ちをしても改めない。これを本当の過ちというのだ)引用:『論語』(岩波文庫)
生きていれば、誰でも過ちを犯すものです。
それも1回や2回ではありません。
大切なのは過ちを犯さないことではありません。
この過ちから自分を省みてつぎに活かすこと。
過ちをそのままにしてしまうことが最大の過ちであると言っているんですね。
もちろんこれだけではない、論語は名言の宝庫!
『論語』で出会う事のできる名言はこんなもんじゃありません。
以下のよううさらに素敵な名言があり、まさに『論語』は名言の宝庫と言えるでしょう。
巧言令色、鮮なし仁。
(ことば上手の顔よしでは、ほとんどないものだよ、仁の徳は)
過ぎたるは猶お及ばざるがごとし。
(ゆきすぎたのはゆきたりないのと同じようなものだ)
君子は人の美を成す。人の悪を成さず。小人は是れに反す。
(君子は他人の美点をあらわしすすめて成し遂げさせ、他人の悪い点は成り立たぬようにするが、小人はその反対だ)
衆これを悪むも必らず察し、衆これを好むも必ず察す。
(お税が憎むときも必ず調べてみるし、大勢が好むときも必ず調べてみる)
三軍も帥を奪うべきなり。匹夫も志を奪うべからざるなり。
(大軍でも、その総大将を奪い取ることはできるが、一人の男でも、その志しを奪い取ることはできない)
位なきことを憂えず、立つ所以を患う。己れを知ること莫きを患えず、知らるべきことを為すを求む。
(地位のないことを気にかけないで、地位を得るための正しい方法を気にかけることだ。自分を認めてくれる人がいないことを気にかけないで、認められるだけのことをしようとつとめることだ)
知らざるを知らずと為せ。是れ知るなり。
(知らないことは知らないこととする。それが知るということだ)
父母には唯だ其の病をこれ憂えしめよ。
(父母にはただ自分の病気のことだけを心配させるようにしなさい。(病気はやむを得ない場合もあるが、そのほかのことでは心配をかけないように))
これを知るはこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。
(知っているというのは好むのには及ばない。好むというのは楽しむのには及ばない)
子の曰く、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の良くする所に従って、矩をこえず。
(先生がいわれた、「わたしは十五歳で学問に志し、三十になって独立した立場を持ち、四十になってあれこれと迷わず、五十になって天命をわきまえ、六十になって人のことばが素直に聞かれ、七十になると思うままにふるまってそれで道をはずれないようになった。」)
義を見て為(せ)ざるは、勇なきなり。
(行うべきことを前にしながら行わないのは、臆病ものである)
吾が道一以てこれを貫く。
(わが道は一つのことで貫かれている。)
君子は義に喩り、小人は利に喩る。
(君子は正義に明るく、小人は利益に明るい)
君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。
(君子は人と調和するが雷同はしない。小人は雷同するが調和はしない。)
徳は孤ならず。必ず隣あり。
(道徳のあるものは孤立しない。きっと親しい仲間ができる。)
引用:『論語』(岩波文庫)
孔子とは?
『論語』で「先生」として登場する孔子とはどのような人物なのでしょうか?
作品に対する理解を深めるために、時系列に沿って孔子の生涯を見ていきましょう。
生まれ~青年時代
孔子は紀元前552年に魯国(現在の山東省曲阜市)で次男として生まれました。
※出生に関しては諸説あります。
ただ、高い身分の家庭にうまれた訳ではなく、特別な教育を受けた訳でもないと言われています。
紀元前534年、孔子が19歳のときに宋の幵官(けんかん) 氏と結婚し、翌年子供の鯉(り) (字は伯魚)が生まれます。
28歳の孔子はこの頃までに魯に仕官し、委吏(倉庫を管理)、乗田(牧場を管理)となりました。
36歳のときに内乱により君主昭公が斉へ国外追放され、孔子もあとを追って斉に亡命。
この途上で「苛政は虎よりも猛なり」の故事が起こりました。
人生後半~晩年
紀元前505年(孔子48歳)、魯の陽虎が孔子を仕官させようとしますが、これは実現しません。
さらに紀元前501年、孔子52歳のとき定公によって中都の宰に取り立てられ魯に仕官します。
紀元前498年、孔子は三桓氏の本城の城壁を破壊する計画を実行に移し、定公にすすめて軍を進めたが失敗。
翌年、弟子たちとともに魯を去って外遊、衛に行きました。
孔子は69歳のときに魯に帰国し、この年に子の鯉が50歳で亡くなったと言われています。
孔子自身は紀元前479年、74歳で死去するまで詩書など古典研究の整理を行なっていました。
まとめ:きっと人生の座右の銘が見つかる
いかがでしたか?
この記事を読んで少しでも『論語』を身近に感じて「読んでみようかな」という気持ちになって頂けたら嬉しいです。
今回ご紹介したのはあくまで私が心を打たれた問答でした。
みなさんも論語を読めば一つは座右の銘にしたくなるような言葉と出会えるはずです。
論語の読み方、解釈の仕方、活かし方に正解はありません。
100人いれば100通りの受け止め方があって良いし、だからこそ面白い『論語』。
是非お試しあれ!
おすすめは岩波文庫
論語を読むのであれば、個人的には岩波文庫の論語がおすすめです。
「どうしても論語のハードルが高い」という方は、まずはマンガから入るのも良いと思います。
『論語』の現代語訳も作られている斉藤孝さん著なので、わかりやすいながらも中身もよく練られていておすすめです。