考え事

日本は完璧な国だけど、その「完璧」に首を絞められていてとても辛そう

こんにちは、アフリカ在住ブロガーのぴかりん(@dujtcr77)です。

私はいま2年間の青年海外協力隊としての任期の途中です。

先日「任国外旅行」という協力隊の旅行チャンスのような制度を利用して、
日本に2週間ちょっと一時帰国していました。

ルワンダという国で1年間生活した人間が日本に戻ってきたとき、
どんなことを感じるのか記していきたいと思います。

日本は完璧な国だ

日本に帰ってきて感じたのは、
なんて完璧な国なんだということ。

コンビニにいきゃあ生活に必要なものは手に入るし、
どの駅に行っても美味しいものを食べられる。
迅速で丁寧なサービス。

以前に比べて無料Wi-Fiも随分と使えるようになってきました。

もちろん国として抱えている問題は多々ありますが、
少なくとも日常生活レベルで困ることはほとんどありません。

でもその「完璧」が自分たちの首を絞めているなあ、とも感じました。

まずは少し、いま私が住んでいるルワンダの話をさせてください。

ルワンダは完璧じゃないから自然に助け合う

日本とは対照的に、ルワンダはお世辞にも完璧といえる国ではありません。

これはルワンダ人も自分たちでよくわかっています。

彼らと話していると
「この国はきれいな水が手に入りにくいから問題だ」とか
「貧しい国だからね」とか問題点をよく話してくれます。

でもその顔に悲壮感はないんですよ。
お互い助け合って生きているからルワンダ人は本当に強い。

おそらく自分たちの国が完璧じゃないからこそ、
自然と助け合う習慣が定着しているんだと思います。

ルワンダのバスで感じた助け合いの文化

そんなルワンダの文化を何気ない日常からも感じることができます。

ルワンダのバスに乗っていた時のこと。
バスに乗ってきたおばちゃんが大きな荷物をいったん他の乗客のヒザの上に置いて、
態勢を整えてからその荷物をまた持ち上げたんです。

このとき、おばちゃんも申し訳なさそうにしないし、
荷物をヒザの上に置かれたお兄ちゃんも当たり前のようにしていました。

日本だと絶対に置く側は「すいません」て言うだろうし(というかまず置かない)、
置かれる側も戸惑いますよね。

なんでもないことですが、日本では見慣れない光景が強く印象に残っています。

ルワンダは完璧じゃないから気にしない

また、ルワンダ人は思い通りにいかなかった時にあまり敏感に反応しません。

はじめから完璧でないとわかっているから。
「まあ、そんなこともあるよね」と受け入れちゃうんです。

この諦めの精神が発展の妨げになるのではないかという懸念もあります。

でも日本だって日常的に何か問題があって腹を立てた時に、
それを改善するために動く人ってそんなに多くないですよね。
イライラして終わり。

良くてもtwitterでつぶやくくらいでしょうか。

だったらまあ日常の小さなことはあまり気にしないのも良いのかなと思います。

日本は完璧だけど「日本人」ひとりひとりは完璧じゃない

日本の完璧を1人の肩に乗せるのは重すぎる

前述の通り、確かに日本は完璧といっても良い国です。
でもそれはあくまで日本と言う国をトータルして見た場合の話。

いくら日本が素晴らしい国でも、
日本人ひとりひとり、また会社やお店ひとつひとつを見ると完璧なものなんて皆無
です。

1人の人間に、1つの会社に、日本の完璧を押し付けるときっと潰れてしまう。

「日本人としてのマナーがなっていない」
「日本の飲食店なのにサービスがヒドイ」

そういう私も、ついついこんな風に感じてしまうことがあります。

ただこのように日本のスタンダードをすべての人や会社に当てはめようとしてしまうのは、
双方にとって良くない面も多いのではないのでしょうか。

日本の「粋」は死んだのか?

先日寄席に行った時のこと。
心の余裕がないなと感じる出来事がありました。

この記事で詳細は書いていますが、
落語の公演に不手際があってそれに対して一部のお客さんがどなって係の人に文句を言っていたんです。

ついさっきまで落語を聞いて笑ってた人たちですよ?

たった一つのミスに顔色を変えて、
「楽しい」雰囲気が1人のクレームを皮切りに一瞬にして「怒り」の雰囲気になったことに驚きました。

この出来事でこんな疑問が浮かんできたんです。

  • 日本は生きづらい国なんだろうか?
  • 「粋」は死んでしまったのか?

いやいや、日本も捨てたもんじゃない!

私はそうは思いません。

今回の一時帰国中だけでも、
日本人って良いなと思う場面がたくさんありました。

深夜、飲み会の帰りにタクシーに乗ったときのこと。
かなりお酒を飲んでいたので支払いの際に、
「けっこう飲んだんでお酒臭かったですよね、すみません」と軽く謝ったんです。

そしたら運転手さんは振り返ってニッコリ笑い言ってくれました。
「いえいえ、私もお酒が好きなので。全然気になりません」

必ずしも必要ではない「私もお酒が好きなので」をつけることで、
こちらの申し訳ないという気持ちがだいぶ緩和されました。

こういうさりげない一言に日本の粋を感じました。

またそれ以外にもベビーカーを押して電車から出てくるお母さんが降りる時に苦戦していて、
それを見て数人が一斉にベビーカーを持ち上げて助けたりする場面もありました。

たった18日間の滞在でもこういう場面に出くわすんですから、
日本でも助け合いだったり、相手のミスをフォローする粋な計らいはまだまだ残っているんでしょう。

「助け合い」が印象に残るうちはまだ足りない

「助け合い」を出しずらい雰囲気はある

このように日本でも助け合いがないわけではありません。

でもこういった助け合いが一つの美談として印象に残るというのは、
まだそれが習慣になっていない証拠でもあります。

前述の通り日本の「完璧」がそれを出しづらい雰囲気を作っているし、
逆に助けを求めづらい雰囲気を少なからず作っている。

ルワンダの真似事をしろというつもりはありません。
しかしもう少しお互いが完璧でないことを理解して、
助けあい、また相手を許すことが当たり前になれば、
日本はもっと生きやすい国になると私は信じています。

もう一歩踏み出してみよう

助け合うことが当たり前の状況を作るためには、おそらくとても時間がかかります。

その1歩として、もう少し助け合うハードルを下げてみませんか?

「なんとなく困ってそうだけど…まあ大丈夫っぽいかな…」
と声をかけるか微妙なラインの人っていますよね。

そんなときも「大丈夫ですか?」「手伝いましょうか?」って声をかけてみる。

それで嫌な気持ちになる人なんてほとんどいないはずです。

こういうことの積み重ねで、
お互いを気にして助け合う雰囲気が出来上がっていくんじゃないかな。

さいごに

助け合いの精神は、わたしたちの心の中にはまだ生きています。
ただそれが少し出しづらい雰囲気なだけ。

だから日本は悪い国、生きづらい国になってしまったというワケではないんです。

ひとつの過渡期なんじゃないかと思う。

戦争に負けた後、私たちのおじいちゃん・おばあちゃん世代が汗水流して国を立て直してくれて、
色んなことが便利になって、本当に暮らしやすい国になった。

便利すぎてだいたいのことは人の力を借りずにできてしまいます。
その反動で互いに助けを求めあう雰囲気が薄れてしまっただけ。

いま、「完璧の代償」と向き合ってどうやって自分たちがより生きやすく幸せにするか、
今度は自分たちの世代で考えて作って行くときなんじゃないでしょうか。

 

つぎにおススメ!

私がルワンダ渡航の1年以上前に会社を辞めた理由

人を許すのに必要なのは「広い心」よりも「妄想力」

 

 

 

 

 

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