こんにちは、アフリカ在住ブロガーのぴかりん(@dujtcr77)です。
土曜日はキガリ虐殺記念館に行ってきました。
ルワンダに来たからには「行きたい」というよりは「行かなければならない」と思っていた場所です。
ご存知の方もいるかもしれませんが、ここルワンダでは1994年に虐殺事件がありました。
ルワンダ虐殺とは?
ルワンダ虐殺(ルワンダぎゃくさつ、Rwandan Genocide)は、1994年にルワンダで発生したジェノサイドである。1994年4月6日に発生したルワンダ大統領のジュベナール・ハビャリマナとブルンジ大統領のンタリャミラの暗殺からルワンダ愛国戦線 (RPF) が同国を制圧するまでの約100日間に、フツ系の政府とそれに同調するフツ過激派によって、多数のツチとフツ穏健派が殺害された。正確な犠牲者数は明らかとなっていないが、およそ50万人から100万人の間、すなわちルワンダ全国民の10%から20%の間と推測されている。
ルワンダ紛争の末期に発生。ルワンダ紛争は、フツ系政権および同政権を支援するフランス語圏アフリカ、フランス本国と、主にツチ難民から構成されるルワンダ愛国戦線および同組織を支援するウガンダ政府との争いという歴史的経緯をもつ。ルワンダ紛争により、国内でツチ・フツ間の緊張が高まるとともにフツ・パワーと呼ばれるイデオロギーがひろがり、「国内外のツチはかつてのようにフツを奴隷とするつもりだ。我々はこれに対し手段を問わず抵抗しなければならない」という主張がフツ過激派側からなされた。1993年8月には、ハビャリマナ大統領により停戦命令が下され、ルワンダ愛国戦線との間にアルーシャ協定(英語版)が成立したが、その後もルワンダ愛国戦線の侵攻による北部地域におけるフツの大量移住や、南部地域のツチに対する断続的な虐殺行為などを含む紛争が続いた。
1994年4月に生じたハビャリマナの暗殺は、フツ過激派によるツチとフツ穏健派への大量虐殺の引き金となった。この虐殺は、フツ過激派政党と関連のあるフツ系民兵組織、すなわちインテラハムウェとインプザムガンビが主体となったことが知られている。また、虐殺行為を主導したのは、ハビャリマナ大統領の近親者からなるアカズと呼ばれるフツ・パワーの中枢組織であった。このルワンダ政権主導の大量虐殺行為によりアルーシャ協定(英語版)は破棄され、ツチ系のルワンダ愛国戦線とルワンダ軍による内戦と、ジェノサイドが同時進行した。最終的には、ルワンダ愛国戦線がルワンダ軍を撃破し、ルワンダ虐殺はルワンダ紛争とともに終結した。抜粋:Wikipedia
文字で事実関係だけ並べるとあまり入って来ませんね…。
ジェノサイドについて自分なりに以下の記事で解説しています。
よろしければご参照ください。
ブログに書くべきか?
とても悩みました。
なぜなら、この記念館での経験や感じたことをうまく伝える自身がなかったから。
今の自分の表現力ではどう考えても難しいなというのが正直なところで…
でもやっぱり自分がブログをやっている信念の一つには「ありのままを伝える」ということがあるので、これを書かないのもなんか逃げなのかなと思い記事にする決心をしました。
ですが、できれば皆さんにも現地に来てご自身で感じて欲しいと思う場所だったので写真や詳細はあえて載せずに、強く感じたことを一つだけ。
これは100万人が亡くなった1つの事件ではなく、1人がなくなった100万の事件
記念館では、遺族の方が何人か登場するムービーがありました。
そこでは、事件の様子を
「目の前で家族が殺された」
「自分だけが生き残った」
「そこには希望なんてなかった」
と涙ながらに語る姿が映されていました。
このとき、東日本大震災の時にビートたけしさんが言っていたことを思い出しました。
常々オイラは考えてるんだけど、こういう大変な時に一番大事なのは「想像力」じゃないかって思う。今回の震災の死者は1万人、もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。テレビや新聞でも、見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。だけど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。
じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。それは死者への冒涜だよ。
人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。
冒頭にも述べたように、この事件たちは1994年に起きています。
たった22年前です。
今ルワンダで会うほとんどの大人がこの事件たちを経験しているわけです。
ルワンダに来てからずっと違和感を感じていました。
「つい最近こんな大きな事件があった国なのに、ルワンダ人はどうしてこんなにも温厚で優しい人たちばかりなんだろう?」
少し怖かったんです。
普段は優しいけど、もし何かあったら豹変してしまうのではないか?
<想像力>が足りなかったんですね。
「こんな大きな事件を起こしたルワンダ人」ではなかった。
一人一人が自分の周りに起きた事件によって傷ついていた。
そしてこんな事件はもう二度と起きてほしくないと思っている。
だとしたらルワンダのみんなが温厚で優しくなるのはある意味当然のことです。
ちなみに、スーパーマーケットでトイレに行くにもお金がかかるこの国でも、虐殺記念館は入場無料です。
それだけ「忘れてはならない」という強い思いを感じ取ることが出来ました。
その思いに対して少しでも貢献できるならと、少々ばかり寄付をさせて頂きました。
平和な日本で育った自分には想像力が及ばす、まだルワンダ人理解からは程遠いところにいるんでしょうか、少なくとも1歩進むことは出来たと感じています。
つぎにおススメ!
このジェノサイドをテーマにした番組の翻訳を手伝わせて頂きました。
NHK『殺人者34万人の帰郷 ~ルワンダ虐殺 22年目の声~』のキニアルワンダ翻訳を担当させて頂きました。