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『アンネの日記』感想・あらすじ~アンネ・フランクは普通の女の子~

こんにちは、アフリカ在住ブロガーのぴかりん(@dujtcr77)です。

誰もが一度は耳にしたことがあるであろう『アンネの日記』。

みなさんは「アンネ」と聞いてどんな人物像をイメージするでしょうか?

  • かわいい女の子
  • 清純で特別な魅力をもった少女

わたしはこんなイメージを持っていました。

しかし『アンネの日記』を読んでみて、アンネに対してのイメージがガラッと変わることに。

今回は、アンネの生涯から『アンネの日記』の内容・見どころを紹介したいと思います。

アンネ・フランクの生涯


画像出典:アンネ・フランク – Wikipedia

『アンネの日記』を読むためには、まずは彼女の生涯を知ることをおすすめします。

どんな家庭に生まれ、どんな環境で書かれた日記なのかを知ることは、アンネが記した言葉の意味をよく理解するのに役立つでしょう。

ドイツ系ユダヤ人の家庭に生まれる

アンネ・フランクは1929年6月12日、ドイツ・フランクフルトの裕福なドイツ系ユダヤ人の家庭に生まれました。

父オットー、母エ―ディトの間には、アンネともう1人、3歳年上のマルゴーがいました。

1933年1月、ナチス率いるヒトラーが首相に就任。
ユダヤ人に対する弾圧が激しくなったことから、迫害を逃れるため一家はオランダのアムステルダムに移住します。

しかし第2次世界大戦中、オランダがドイツ軍に占領されると、オランダでもユダヤ人への迫害が行われるように

1942年7月、アンネの姉マルゴーに召喚状が届いた事をきっかけに、一家は逃亡を決意。

父親が経営していたペクチン製造会社の事務所の入っているビルを「隠れ家」として生活するようになります。

「隠れ家」で綴った日記

隠れ家に移動する少し前の1942年6月12日、アンネは13歳の誕生日に両親から日記帳をプレゼントされます。

アンネはこの日記帳にオランダ語で日記をつけ始めます。
日記帳に「キティー」と名付け、日々の日記は「親愛なるキティーへ」という書き出しからはじまります。

隠れ家生活になってもこの習慣は続きました。

しかし1944年8月4日、何者かによる密告で一家は逮捕され、強制収容所に送られてしまいます。

出版に向けた話

アンネは1944年の春、ロンドンからのラジオ放送で、オランダ亡命政権の文部大臣ヘリット・ボルケステインである放送を耳にします。

放送によると、戦争が終わったら、ドイツ占領下におけるオランダ国民の苦しみを記録した手記や手紙を集めて、公開することを考えていると言います。
この放送を聞いたアンネは自分も戦後に本を出版したいと考え、日記をその基礎資料として使うことに決めました。

前述の通り、アンネとその家族は1944年に連行されてしまいますが、アンネ一家をかくまっていた事務所のミープ・ヒースが見つけた日記を保管していたのです。

しかしアンネは強制収容所にてチフスに羅漢し15歳でその命を落としてしまいます

家族で唯一生き残ったアンネの父オットー・フランクはミープ・ヒースから日記を受け取り、わが子の希望を叶えるために書物として出版することに決めました。

こうしてオットーは、日記から家族に対する好き嫌いなどの描写や性的表現などを削除した版を出版。

これは世界的なヒットになったものの、アンネが書いた内容をすべて収録しておらず、父親や出版社による「検閲だ」との批判が広まり、1986年になって、アンネのオリジナルの日記が出版されることとなりました。

マンガで読むアンネの人生

さらに詳しくアンネ・フランクの生涯を知りたいかたは、『アンネの日記』はもちろん伝記をマンガにしたものもおすすめです。

 

『アンネの日記』内容・あらすじ

アンネの日記 (文春文庫)

はじめての日記

『アンネの日記』の記念すべきはじめての日記は以下のようにはじまります。

あなたになら、これまでだれにも打ち明けられなかったことを、なにもかもお話しできそうです。

どうかわたしのために、大きな心の支えと慰めになってくださいね。

引用:『アンネの日記』増補新訂版(文藝春秋)※以下、引用はすべて同じ

どこか女の子らしさを感じさせる、かわいい印象の書き始め。

それと同時に、これまでの人生、そしてこれからの彼女のことを考えると胸が苦しくなる文章でもあります。

実際にこの日記、いや、キティーはアンネの想いをいつも受け止めてくれる、とても大切な存在となりました。

同級生に対する言及~ただのかわいい女の子じゃない!?~

さて、アンネ・フランクと聞くとなんとなく「清純な少女」といった印象を持っている方も多いのではないでしょうか?

しかしアンネは日記の中でけっこうハッキリ同級生や家族の悪口を思った通りにぶつける、ごくごく普通の女の子なんです。

序盤に出てくる同級生の紹介は、なかなかのインパクト。

ベティー・ブルーメンダールは、なんとなくみすぼらしく見えますけど、たぶん、ほんとに貧しいんだと思います

ジャクリーヌ・ファン・マールセンは、いちおうわたしのいちばんの親友ってことになってますけど、じつをいうとわたし、まだほんとうの親友を持ったことがありません

J・Rについては、まるまる何章分書いたって、まだ書きたりません。

なにしろ、自惚れ屋で、陰口好きで、意地悪で、威張り屋で、陰険で、偽善家

J・Rについて書くときの悪口のボキャブラリーがすごい。笑

ちなみに、悪口ばっかり書いている訳ではありません。

ハリー・スハープは、クラスでいちばんお行儀がのいい男子です。とってお感じのいい子です。

アンネは、思ったことははっきりと言うタイプなんだろうなと想像できますね。

日記をつけはじめた理由

ここで紹介しただけでなく、同級生に対しては数十人にわたってコメントされています。

そこでわかるのが、「アンネが本当に心を開いている友達がいない」ということ。

実際に日記の中でもこう記されています。

わたしがなぜ日記をつけはじめるかという理由についてですけど、それはつまり、そういうほんとうのお友達がわたしにはいないからなんです。

ここに、アンネが日記に「キティー」と名付けて本当に友達に語りかけるように書いている理由があるのでしょう。

悪口ばかりが続いてしまったときはキティーに気を遣って謝ったり、アンネが本当にこの日記のことを友達として大切にしていたことを要所要所で感じ取ることができます。

日記の終わりを「じゃあまた、アンネより」と締めるのも、まるで友達に「また明日」と言っているようでとても可愛らしい。

ユダヤ人としての葛藤、するどい洞察、そして強い意志

「あらあら、なんて可愛らしい女の子」そう思って油断していると、その力強い言葉にドキッとさせられることも。

例えばアンネは、決して恵まれているとは言えない「隠れ家」の生活についてもただただ悲観しているわけではありませんでした。

「隠れ家」にいるアンネたちとは違って、隠れる場所を持たないユダヤ人たちは毎日のように捕まり、強制収容所へ連行されていきます。
アンネもそういったニュースを耳にするたびに心を痛めます。

「隠れ家」から出ることが出きないというだけでも私たちからは考えられないほど大変な暮らしです。
しかしアンネはこのように考えるようになります。

不自由は多いが「隠れ家」という安全な場所があるのはしあわせなことだ。
外の同胞たちは気の毒だ。
外に私たちより気の毒な人たちがいて、自分は笑ったり幸せな気持ちでいいのか?

アンネは隠れ家に入った年、1942年11月20日の日記で「悲惨な外の世界」という題でこのように書いています。

声をあげて笑いたいときでも、すぐさまそれをおさえて、浮かれた気分になったことを恥じてしまいます。

でも、ほんとうにわたしは、一日じゅう泣いて暮らさなくてはいけないのでしょうか。

いいえ、そんなことは無理ですし、いつかはこの暗澹たる気分も晴れてゆくはずです。

このような環境がアンネをそうさせたのか、アンネは時に、日記の中で10代前半とはとても思えない異常な強さを見せます。

「自分は弱い性格だ」と言いながら、それで平然としていられるのって、わたしにはとても考えられません。

それがわかってるんならなぜそれと闘おうとしないんでしょう?

なぜその性格を鍛えなおそうとしないんでしょう?

答えはこうです。「このままでいるほうがずっと楽だから!」

こんなこと、普通15歳の少女が言うでしょうか?

もともとそういう性格だった面もあるのかもしれませんが、過酷すぎる環境が彼女に良くも悪くも「強さ」を与えてしまったのかもしれません。

家族や同居人との葛藤

「隠れ家」には、アンネ一家4人のほかに、ファン・ダーン一家3人、そして歯医者のデュッセルさん、計8人が住んでいました。

アンネは、家族、そして「隠れ家」に住んでいた他の住人たちとうまく関係を築くことができません。

特に母親との関係が悩みの種となることも多かったようです。
日記の中でも何度か「ママのことは嫌い」とはっきりと言っています。

パパは、ママの気分が悪いときとか、頭痛のするときには、おまえもすすんでお手伝いぐらいしたらどうだ、そう言いますけど、わたしはごめんです。

ママのことは嫌いだし、とてもそんな気にはなれませんから。

一貫してパパには心を開いていたようですが、日記の中では度々家族や同居人との衝突について記されています。

【感想・見どころ】日記の中で成長していく様子

アンネの日記を読む限りでは、ママや同居人の大人たちはアンネをだめな子ども扱いし、アンネはずいぶん悩まされていたようです。

前述の通り、彼女は衝突について幾度が言及し、かなりきつい言葉も使っていました。

しかし、13歳、14歳と年を重ねるにつれ、アンネは心の成長を見せるようになります。

いま、過去一年半の日記を読み返してみると、よくもまあこんなに無邪気な、子供っぽい日記が書けたものだと、あきれてしまいます。

過去の自分の日記を読んであきれてしまうシーンも。

たしかに、おかあさんがわたしの気持ちをわかっていないというのは事実ですが、わたしもお母さんの気持ちをわかっていないんですから、おあいこかもしれません。

また、当初は一方的にお母さんを攻めていたアンネ。

後半になると、「自分にも非があるはず」「お母さんに愛がないわけではない」と母を理解しようと努める場面もでてきます。

このように、2年以上に及ぶ「隠れ家」での生活で、アンネが成長していく様子を観察できるのが、本書の大きな醍醐味の1つとなっています。

【読書感想文】恋や性への芽生え

そしてもうひとつ、本書を通じて非常に興味深いのがアンネの恋・性への芽生えを観察できるということ。

アンネはある日、こんな日記を書いています。

だいじなニュースをお伝えするのを忘れていました。

もうじき初潮があるかもしれないってことです。(中略)

とっても重要なことらしいので、始まるのが待ち遠しくてなりません。

アンネは初潮という、どこか神秘的な、大人の入り口のような現象が自分に訪れるのを待ち遠しく思っていました。

思春期のアンネは、次第に性について興味を持つようになります。

しかし彼女が住んでいるのは「隠れ家」。
同世代の女の子たちと教室で話すこともできない。

そんなもどかしさからアンネは日記で「ああ、だれかこういうことを話しあえる同年輩の女のお友達がいてくれたら!」とその思いをぶつけることもありました。

隠れ家で唯一の同世代の男の子・ペーター

結果として、アンネの恋や性への興味の対象となったのが同じ隠れ家にすむペーターでした。
ペーターはファン・ダーン一家のひとり息子。

アンネのペーターに対する印象は、はじめは最悪のものでした。

ペーターのことだけは、いまだに好きになれません。

まったく退屈な子で、一日の半分は、のらくらベッドに寝そべってるきり。

お手伝いでちょこっと大工仕事したかと思うと、またすぐ寝床にもどってお昼寝。

なんておばかさんなのかしら!

しかし生活をともにするにつれ、ペーターの良いところもみえてくるように。

そしていつの間にかアンネは、「話し相手」にペーターを選ぶことになります。

だれかと話をしたいろいう欲求があまりにも強くなり、どういうわけかふっと思いついたのが、ペーターを相手に選ぶことでした。

知らず知らずのうちに強まるペーターへの想い

こうしてペーターと過ごす時間が多くなり、いろいろな話をしたアンネの気持ちはいつのまにか立派な「恋」と呼べるものへと変わっていきました。

そして、目が合うとーーええ、そうするとそのたびに、なにかしら暖かい感情が身内を流れるんです。

このごろはうえへ行くたびに、”あのひと”に会えればいいと、そればかり念じています。

ねえキティー、わたしもざらにいる”恋する女”に似てきたみたい。

そうなるともう、口をひらけば恋しく思う相手のことばかり。

そしてついに…

1944年4月16日、「はじめてのキス」という題名ではじまる日記はこのようにはじまります。

だれよりも親愛なるキティーへ

きのうの日付けを覚えておいてください。

わたしの一生の、とても重要な日ですから。

もちろん、どんな女の子にとっても、はじめてキスをされた日といえば、記念すべき日でしょう?

この後、アンネははじめてキスされたときの様子を詳しく話してくれますが、こっちまでドキドキしてしまいます。

日記の締めくくりもとても印象的なものでした。

いまでもまだ、きょうはどうなるだろうと胸をわくわくさせているところです。

日曜日の朝、十一時ちょっと前。

まとめ

1944年4月5日の日記では、アンネは以下のように書いています。

わたしの望みは、死んでからもなお生きつづけること!

1947年に発刊された『アンネの日記』は、70年近くものあいだ世界中で読まれ続けています。

たった15歳の若さで命を落としてしまったアンネですが、たしかにアンネは、死んでからも生き続けている。
彼女の願いが叶っているのだと、少し救われた気持ちになります。

しかし忘れてはならないのは、アンネだけが特別な人間ではないということ。

たしかに彼女は、人の心を打つような文章を書いていたのかもしれません。
人を引き付けるような魅力の持ち主だったかもしれない。

ただ、前述の通りアンネは普通の女の子だった。

そしてアンネと同じように、ごくごく普通の子どもたちや大人、お年寄りまで、アンネと同じような境遇にあったということ。
日記に残していないだけで、アンネと同じような思いをし、辛い体験をした人がたくさんいたということ。

本書を読んで、すばらしい日記に出会えたことに喜びを感じる一方で、もう二度とこのような作品が世に出るようなことがあってはならないと強く感じました。

これからもアンネは、わたしの中で生き続けるでしょう。

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