こんにちは、根本(@dujtcr77)です。
突然ですがみなさん、もうすぐ死ぬかもしれなくても続けたいこと・やり抜きたいことってありますか?
今回は人生について考えるきっかけになった1冊の本と、そこから考えたことについて書きたいと思います。
『聖の青春』”怪童” 村山聖の一生
あらすじ
この本は、ネフローゼという重い難病をかかえながら親や仲間達、そして師匠に支えられ、29年の若さで亡くなった天才棋士・村山聖(さとし)さんの伝記です。
辛い闘病生活を送っていた村山少年が病院のベッドで出会った将棋。
将棋は、スポーツはおろか普通の生活すらまともに送ることが出来ない彼が「名人」へと続く大空へはばたくための「翼」になりました。
病気という障害を乗り越えて、その類まれな集中力・才能・そして執念で 「名人」が見えたとき、彼を襲ったもう一つの病気が「進行性膀胱ガン」。
29歳である平成10年8月8日、彼は名人の一歩手前であるA級に在籍したままこの世を去りました。
そんな彼の幼少時代から最後までが、将棋雑誌の編集者として近くで見てきた大崎善夫さんによって描かれています。
以下、プロローグより抜粋
父 伸一、母 トミコ、師匠 森信雄。村山の側にはいつも桁外れに無垢で頑固な人間たちがいた。
村山はその力を借りて、ときには二人三脚のように、そしてときには自分だけの力で史上最強のライバルたちとの闘いを繰り広げていった。
つらい日々もあった。
胸躍るときもあった。
本書はその愛と闘いの記録である。
これは、わずか29歳で他界した稀有な天才棋士 村山聖の青春の物語である。
『聖の青春』プロローグ
燃えるように生きた男
「西の村山、東の羽生」と呼ばれるほどの天才棋士であった村山聖。
しかしこの物語を読んでいて感銘を覚えるのは、そんな才能よりも村山聖の恐ろしいほどの将棋、そして勝利に対する執念です。
何度も無理をして対局へ
村山聖は、40度に近い熱があってアパートの階段すら自分で降りることが出来ない状態でも、
入院中に医者に止められても、
対局に向かいました。
朝10時から深夜まで及ぶ対局のあとは、その場を動くことが出来ないこともありました。
体調を崩して緊急入院した2日後に強行退院して対局に向かったときのこと。
相手が誰なのか、何の対局なのかもよくわからずに対局に挑み、15時間の死闘の末、勝利をおさめた後も、ほとんど動くことが出来ませんでした。
対局後は放心状態だった。
体も動かず、声も出ない。戦った相手に申しわけないと思ったが、どうすることもできなかった。
やがて、村山は脇息に手をつきようやく立ち上がると、
1センチずつ体を動かすようにして玄関を出てタクシーを拾い、病院に戻った。
勝たなければ意味がない
なぜそこまでして村山は将棋をさしたのか?
それは冒頭でも述べたように、将棋は彼が唯一大空へとはばたくための翼であったと同時に、
将棋というルールを介在させた「純粋な勝負」でもあったためです。
徹底的に将棋を純粋化させた結果たどりついた結論。
白か黒か。
生きるか死ぬか。
それが、村山にとっての将棋の正体であり意味であった。
定跡の学習や、終盤力の強化はもちろん必要である。
しかし、それは将棋の本質からは二義的なものなのである。では一義は何か。
それは生きるか死ぬか、殺すか殺されるか。
村山はその勝負としての将棋の本質を、常に直視していた。
ただ強いだけの男ではない
ここだけ紹介してしまうと、村山聖という人物は生まれながらに強い精神力を持った特別な人間であるように感じてしまいます。
でもそうではありません。
普通の人と同じように、もしかしたらそれ以上に悩み苦しんでいました。
部屋の片隅から見つけられたこのメモ書きもそのことをよく表しています。
何のために生きる。
今の俺は昨日の俺に勝てるか。
勝つも地獄負けるも地獄。
99の悲しみも1つの喜びで忘れられる。人間の本質はそうなのか?
人間は悲しみ苦しむために生まれたのだろうか。
人間は必ず死ぬ。必ず。
何もかも一夜の夢。
「燃え続ける何か」を持っているか
村山聖のように、例え体調が悪くても、たとえ環境が許さなくても、
やりたい、結果を残したい、と思える何かを持っているか。
「自分は彼ほど燃える事が出来ていない。」
この本を読んでの率直な感想でした。
色んなことに全力のつもりでした。
でも命を懸けて闘っていたか?
本当にそれは全力だったのか?
そう問われた時、この物語を読んだいまでは自信を持って「イエス」と答えられません。
29年か100年かが問題じゃない
29年という生涯はとても短いです。
私はいま28歳なのであと1年でこの世を去ると考えると恐ろしい。
まだまだやるたいことがたくさんある。
でもよくよく考えたら長さが問題なんじゃなくて、その間燃え続けることが出来たかが重要なのではないか。
もしかしたら村山さんは「いや、そうじゃない。もっと生きて将棋を指したかった」
そう言うかもしれません。
でも今の私には、自分に与えられた時間をずっと燃え続ける彼の生き方が一つの理想的な生き方であり、また最後の迎え方だと感じました。
さいごに:「全力で生き続ける」という手本
村山聖は、まさか将棋を小学生の時に数回やった程度の28歳の青年が、アフリカの地で彼の生き方に感動を覚えるとは思っていなかったでしょう。
「多くの人に○○を伝えたい」
「熱い気持ちを持ってほしい」
そう思って自分がやっていることの普及活動を行ったり、
情報発信をしている人も多いと思います。
でもそれ以外にも伝える方法はありました。
全力で、ひたすら自分の求めるものに向かって進み続けること。
これだけで周りの人は背中をみて感じ取ってくれるんだ。
そんなことも教えてくれた『聖の青春』。ほんとうに出会えて良かった1冊です。
11月19日公開の映画も見逃せない!
2016年11月19日から公開される松山ケンイチさん主演の映画『聖の青春』も見逃せません。
絶対観たい!