明治36年山口県に生まれた金子みすゞさん。
「若き童謡詩人の中の巨星」と言われながらも決して希望に満ちた人生ではなく、26歳の若さで自ら命を絶ってしまいます。
そんな金子みすゞさんの、美しくも悲しい詩集に心を打たれました。
小学生の頃、金子みすゞさんの詩が授業で取り上げられました。小学校の教科書に載るほど平易な日本語で綴られた詩。
しかし本当の意味を理解するには、もう少し大人になる必要がありました。
大人になった今だからこそ響く金子みすゞさんの詩をいくつか紹介したいと思います。
こだまでしょうか
「遊ぼう」っていいうと
「遊ぼう」っていう。「馬鹿」っていうと、
「馬鹿」っていう。「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。そうして、あとで
さみしくなって、「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。
CMでも流れたこの詩。
悲しい事、嬉しい事、どんな感情でも投げかけられた言葉やその想いに返ってくるのは「こだま」だけでなく人間みんなの心がそうなんだと。
相手が嬉しければ一緒に「嬉しいね」と喜んで、悲しければ「悲しいね」って一緒に悲しみを感じる。
これって当たり前のようで難しい事です。
人の成功を妬み、悲しむ人には理屈をこねる。
もっとシンプルでいいんですね。「よかったね、嬉しいね」「そうだね、悲しいね」と本当の山のように大きな懐で相手を包み込んであげたいものです。
土
こッつん こッつん
打たれる土は
よい畠になって
よい麦生むよ。朝から晩まで
踏まれる土は
よい路になって
車を通すよ。打たれぬ土は
踏まれぬ土は
要らない土か。いえいえそれは
名のない草の
お宿をするよ
人の役に立たないような土だって、名前のない草の宿になる。
この世に価値のないものなんてない。
人間もそう。「自分は何の役に立っていないんじゃないか?」
そう思っても必ず誰かにとって、何かにとってはいなくてはならない存在。
私と小鳥と鈴と
私が両手を広げても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速くは走れない。私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように
たくさんな唱は知らないよ。鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
教科書にも載っていて、おそらく金子みすゞさんの作品で最も有名な詩のひとつ。
この詩の中に、金子みすゞさんの優しさと感性とがつまっています。
大漁、お魚
大漁
朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰯(おおばいわし)の
大漁だ。浜は祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰯のとむらい
するだろう。
お魚
海の魚はかわいそう。
お米は人につくられる、
牛は牧場で飼われてる、
鯉もお池で麩を貰う。けれども海のお魚は
なんにも世話にならないし
いたずら1つしないのに
こうして私に食べられる。ほんとに魚はかわいそう。
金子みすゞさんは、草や動物など人間以外の気持ちをよく詩にしています。
この「大漁」と「お魚」は魚の気持ちになったもの。
私たちが食物連鎖や習慣として割り切って当たり前に考えていることも、
自分の心でしっかり感じ取ることが出来る彼女らしい詩です。
書ききれない!
金子みすゞさんの詩は本当にどれも素敵過ぎて、感動したものを載せていたらこの詩集を転載することになってしまいそうです。笑
小さいころに読んだきりの方、もう一度みすゞさんの詩に触れてみませんか?