こんにちは、会計士ブロガーの根本(@dujtcr77)です。
久しぶりに『銀河鉄道の夜』を読みました。
改めて読んでみるととても深い話で、初めて読んだときは全然理解してなかったんだなと驚き。
今回は宮沢賢治『銀河鉄道の夜』の紹介と解説・感想を書いていきたいと思います。
主な登場人物
ジョバンニ
主人公の少年。
いじめられっ子で孤独を感じている。
母親は病気がちで、ジョバンニが朝と昼に仕事をしている。
父親は漁に行ったきり帰って来ておらず、ラッコの密漁で捕まったとの噂もあり、そのことでザネリら同級生にからかわれてしまう。
カムパネルラ
ジョバンニの幼馴染の親友。
他の同級生のようにジョバンニをからかわない。
ジョバンニの父とカムパネルラの父も小さいころからの友達。
ザネリ
ジョバンニのクラスのいじめっ子。
「お父さんから、ラッコの上着が来るよ。」と言ってジョバンニをからかう。
鳥捕り
銀河鉄道の乗客。
鳥を捕まえて売る商売をしている。
女の子(かおる子)、男の子(タダシ)、青年
弟のタダシ、姉のかおる子とその家庭教師の青年。
途中から銀河鉄道に乗ってくる。
乗っていた船が氷山に衝突して沈み、気が付くと銀河鉄道に乗っていた。
『銀河鉄道の夜』あらすじ
一、午後の授業
学校で授業を受けている、いじめられっ子で孤独な少年ジョバンニ。
銀河についての先生の質問に、仕事が忙しくよくわからない気分になっていたジョバンニは答えることができません。
同じく答えをしっているはずのジョバンニの幼馴染・カムパネルラもジョバンニを思ってか質問に答えませんでした。
二、活版所
学校が終わり、カムパネルラや同じクラスの級友たちは、今夜の星祭に川へ流す烏瓜(からすうり)を取りに行く相談をしています。
しかしジョバンニはそれに参加せず家にも帰らず活版所へ仕事へ。
仕事を終えるとパンの塊と角砂糖を買って家へ急ぎます。
三、家
ジョバンニは、家に帰ると病気のお母さんに角砂糖を入れた牛乳を作ってあげようとしました。
しかし今日は牛乳が配達されていません。
漁に行ったきり帰ってこないお父さんについてお母さんと話し終えると、牛乳を取りにジョバンニはまた出かけます。
四、ケンタウル祭の夜
牛乳屋に来たジョバンニですが、わかる人がおらずまた後で来るように言われます。
途中でザネリたちに会ってからかわれてしまうジョバンニ。
ザネリと一緒にいたカムパネルラは気まずそうにだまってこっちを見ています。
祭りへ行くザネリたちとは反対に、ジョバンニは黒い丘の方へ向かいました。
五、天気輪の柱
ジョバンニは、天気輪の柱のある丘で空を見上げていました。
六、銀河ステーション
どこかから「銀河ステーション、銀河ステーション」と聞こえたかと思うと、ジョバンニは銀河鉄道に乗っていました。
そして同じ列車にはカムパネルラの姿も。
七、北十字とプリオシン海岸
白鳥の停車場に着いた列車。
20分の停車時間にジョバンニとカムパネルラは列車を降りて[プリオシン海岸]へ行きます。
ここでは牛の先祖の骨を発掘している大学士と会って話しますが、時間が来たので2人は列車へ戻ります。
八、鳥を捕る人
鳥を捕まえる商売の男が列車に乗ってきます。
鳥捕りは鳥を捕まえて標本にして食べるのだといいます。
2人は食べさせてもらいますがそれはどうもお菓子としか感じられません。
鳥捕りは突然列車の中から姿を消し、河原で鷲を捕まえたかと思うと、またいつの間にか列車に戻ってきているのでした。
九、ジョバンニの切符
旅を続けるジョバンニとカムパネルラ。
アルビレオの観測所の近くで車掌が切符を切りにやってきて、そこでジョバンニの切符はどこにでも行ける通行券であることがわかります。
気が付くと鳥捕りはいなくなっており、6歳くらいの男の子、12歳くらいのお姉ちゃん、そして彼らの家庭教師の青年が乗ってきました。
彼らは乗っていた船が氷山にぶつかって沈んでしまい、気が付いたらこの列車に乗っていたといいます。
途中、蠍(サソリ)の火が見えて女の子がお父さんから蠍のいい話をはじめます。(後述)
サウザンクロスに着くと、男の子、女の子、そして青年は列車から降りて行きました。
2人きりになったジョバンニとカムパネルラ。
話しているといつのまにかカムパネルラの姿も見えなくなっているのでした。
ジョバンニが目を開くと、そこはもといた丘です。
まだ夕ご飯を食べていないお母さんのことを思い出し、牛乳を受け取って家へ向かいます。
しばらく進むと川の橋にひとだかりができていました。
そこにいた同級生のマルソに聞くと川に落ちたザネリを助けたカムパネルラが見つからないのだと言います。
カムパネルラのお父さん(博士)も諦めた様子。
博士の話によるとジョバンニのお父さんから便りがあってもうすぐ帰ってくるはずとのこと。
ジョバンニはお母さんにお父さんの帰りを知らせようと一目散に河原を街の方へ走りました。
解説・感想
銀河鉄道が走るのは「あの世の世界」
銀河鉄道が走るのは、あの世です。
ザネリを助けて死んでしまったカムパネルラや、氷山に衝突して沈没した船の犠牲者になったこどもたちが乗ってきています。
また、あらゆる所でこの世のものとはかけ離れたシーンや状況が描かれています。
自分が望む種子をまくだけでひとりでに育つ農作物。
来ようとしただけで一瞬で列車の中に戻ってきた鳥捕り。
しかし同じあの世でも、行きつく先はそれぞれ異なります。
天井へいけるのは人のために生きた者のみ
下から天井へと、一方通行で進む列車。
天井まで行くことができるのは「いいこと」をした人だけです。
具体的には、人のために自己を犠牲にできた人。
男の子と女の子、青年が死んでしまったのは船が沈んでしまったため。
ボートに乗って助かろうとしたものの、他に小さなこどもたちが乗っていたため、それを押しのけて自分と自分の教え子たちを助けることはできませんでした。
こうした自己犠牲の心をもっていたため、彼らはサウザンクロスまで行くことができたのです。
ちなみに青年たちが乗っていた船はあの「タイタニック号」だったと言われています。(※)
タイタニックの沈没は1912年4月、宮沢賢治が16歳だったころに起こりました。
サソリが表すもの
サウザンクロスのすぐ手前では蠍(サソリ)の火が明るく燃えています。
女の子がお父さんから聞いた話によると、サソリはいい虫だと言います。
むかしバルドラの野原に、小さな虫を殺して生きるサソリがいました。
ある日イタチに見つかって逃げたはいいものの井戸に落ちてしまったサソリ。
サソリは自分の行動を悔い、神にお願いをします。
どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉(く)れてやらなかったろう。
そしたらいたちも1日生きのびたろうに。
どうか神さま。
私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次はまことみんなの幸いのために私のからだをお使い下さい。
引用:新編 銀河鉄道の夜(新潮文庫)
「自己犠牲のこころ」を死の直前に持ったものの、実際に行動には映していないサソリ。
そのためにサソリが位置するのは実際に自己犠牲の精神のもと行動を起こしたものたちが行く天井の直前に置かれたのです。
まとめ:本当の幸福とは
この物語を通じて読み取ることができるのが、人の為に生きることが本当の幸せなのだということ。
読んだ多くの人がそう感じるでしょうし、当記事を書くにあたって他のサイトをみてもほぼ漏れなくこのことが書かれていました。
しかし肝心なのは、
それが正しいことだと自分でこころから納得していることだと思います。
友達を救って人のために生きたカムパネルラも、はじめは「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだろうか」と悩んでいます。
人のために自分の命を犠牲にしたことに対して、罪悪感のようなものを覚えているんですね。
「自分を捨てて人のために生きるのが幸せだ!」と言われて「はい、そうですか」ととりあえず人のために生きてみる。
それで本当に幸せを感じることができるでしょうか?
カムパネルラを見ているとそうは思えません。
「人のために生きる」という生き方が素晴らしく、幸せな生き方であろうことは私も疑いがありません。
でもこれを心から納得し、そう信じていないと、本当の幸福を感じることは難しい。
なので『銀河鉄道の夜』を読んで「本当の幸せは迷いなき『自己犠牲の献身』である」という結論に達しました。
すぐにその境地に行くのは難しいかもしれません。
ジョバンニが銀河鉄道の旅でそうしたように、色んな人に会い、考え、少しずつ「心の迷い」のようなものをなくしていきたい。
そう感じました。
あなたはこの物語を読んで何を感じ、どう考えたでしょうか?
読書が苦手な人はマンガから入るのもおすすめ
「活字を読むのがあまり好きじゃない」
「本を読むのが苦手」
という方はマンガから入るのもわかりやすくておすすめです。
もちろんマンガで流れを掴んあだとは、宮沢賢治さんの書いた文章の方も読みましょう。
作品を味わえるし理解もグッと深まりますよ!