世界中の協力隊からインタビュー

【モザンビーク・統計】山中一さん(27年度3次隊)

自己紹介

山中 一 (やまなか はじめ)
1982年1月22日生まれ。北海道帯広市で生まれる。5歳から神奈川県横浜市で育つ。

桐蔭学園高等学校理数科卒業後、東京理科大学工学部工業化学科へ入学。卒業後、フィルターメーカーに就職。製造部門に2年、技術部門に1年、製品開発部門に1年従事。この間新潟県新発田市に3年、栃木県宇都宮市に1年在住。

総合化学メーカーに転職。三重県四日市市の化学コンビナート内にある、レーザープリンター用トナーの製造プラントの管理業務全般(生産管理、物流管理、設備管理、品質管理、業務改善、設計と広範囲)に7年半従事。

青年海外協力隊2015年度春募集の統計職種に応募。8月に合格通知を貰う。2か月間で退職などの後始末をして、10月から二本松での訓練に参加。2016年1月からモザンビーク共和国の国立農業研究所で活動中。

趣味はスポーツ観戦、フットサル、料理。ブラジルW杯は行きました!!!

協力隊応募、面接のアドバイス・体験談

これはあくまで自分の考えですが、自分のように専門性が薄く30過ぎで協力隊に応募する場合、「自分の経験とスキルが如何にマッチしている職種や要請を選ぶか?」がとても重要だと思います。いくらなんでも若い人達に混じってコミュニティ開発で応募というのは流石に分が悪すぎます。採用する側からすれば若さや伸びしろというのは重要な資質です。特に定義の難しいコミュニティ開発なら尚の事です。従って自分はコミュニティ開発で応募する考えはありませんでした。

では実際自分がどのように職種や要請を選択していったかを記載します。

まず、自分のスキルや経験、資格で、協力隊で需要がありそう、通用しそうなのをピックアップします。この時点では、自由に挙げられるだけ挙げてみます。私の場合は以下になりました。

  • 生産管理、特に製造現場の管理業務全般(人、モノ、工程、情報全ての管理経験とスキル)
  • 品質管理(フイルター、トナーと全く異質の製品で経験。品質管理検定2級も所持)
  • 業務改善(社会人なってこればっかりやってる・・・・)
  • 工業排水、排気管理(公害防止管理者水質1種、大気1種所持、経験もあり)
  • ユーザー側視点でのデータベースやネットワーク構築、設計(上級シスアド、情報シスアド所持、経験もある)
  • 放射線密封線源の管理(放射線取扱主任者2級所持)
  • 化学プラントの配管や設備の管理や基本設計、維持メンテナンス

といった所になりました。では応募要請に記載されている職種と照らし合わせてみると、

候補として以下が残りました。

  • 品質管理
  • 環境教育
  • 水質管理
  • コンピューター技術
  • 統計
  • 理科教育
    (今回、化学の要請はなし)

ここからさらに選抜していくと

  • 品質管理は海産品に対する業務経験要とあるので除外。
  • 水質管理は、上水道での業務経験要とあるので除外。
  • コンピューター技術も本職のSE有利なのは目に見えているので除外。
  • 理科教育は、教員経験者が有利なのは目に見えているので除外。

ちなみに、なぜ水の知識があるのに水の防衛隊に応募しなかったのか?とは訓練所でも聞かれましたし、ここまで読んで疑問に思った方もいらっしゃるでしょう。理由は、水の防衛隊で求められる生活用水確保と、排水処理、管理は全くの別物だという考えだったからです。

最終的に環境教育と統計が残りました。
ではなぜ統計を選択したのか?特に決め手となった理由は以下の2点です。

  • 要請内容が自分の経験してきた事をそのまま応用展開できそう
  • 過去統計隊員は45人程度しかなく、毎回応募も少ない。競争率は下がる。

要請内容は、モザンビークの国立農業研究所のデータ運用のレベルアップと改善。この1つだけでした。読んでいくと、「統計やデータを見て次の施策やアクションを考えることは品質管理や工程管理で毎日のようにやってきた。このアプローチ手法や考え方を現地に適応させれば行けるな」と考えるに至りました。そして応募者の少なさ、倍率の低さも魅力です。事前の試験問題も「統計やデータを使ってどのような事をしてきたか述べよ」とあります。自分の仕事の成果を書けばいいだけです。しかも自分は国にこだわりはありません。これは行けると確信し、応募書類を記載、郵送しました。

で、面接に進むわけですが、残ったのは私1人でした。
準備は特に何もしていません。体調を整えるぐらいでしょうか。

実は面接の5日程前、JICAから電話がありました。
「面接は必ず来て下さいますよね?よろしくお願いします。」
と。

正直この時点で、「余程面接で人格不易合が無い限り、JICAとしては自分を行かせるつもりだろう」と思い、気は楽になりました。
※後々調べたら、確認の電話はかなりレアケースらしいです・・・・・・・( ゚Д゚)

で、本番の面接ですが、はっきり言って、「任地に行ってやることの確認」で終わりました。
自分からは「統計の職種で行くが、自分は大学で数学科を出たわけでもなく、あくまで実践統計ですし、現地でもそうなります。よろしいですね?」と確認した所、「もちろんです。是非ともお願いします」と回答を頂き、この時点で「受かったな」と思いました。

長々と書きましたが、私同様、30越えで、ある程度以上のキャリアを持つ方が協力隊の面接というのは、
「要請内容に対し、最も適したスキルや経験を持つ応募者は誰か」
を選ぶ面接だと思うのです。要は日本中で沢山行われているキャリア転職やヘッドハンティングと変わらない訳です。なので、協力隊面接のために特別必要な事なんてありません。

極々当たり前の事ですが、

  • 自分のスキルや経験に適した職種、要請を選ぶ。
  • 自分のスキルや経験が、応募した職種に如何に相応しいか書類、面接でアピールする。

後はJICAが求めるレベルに達していてかつ、競合者を上回っていれば、合格という極々一般的な面接と変わりないです。

 出国までにやっておいて良かったこと、やっておけば良かったこと

この手の話が出ると、「事前に個人で先輩隊員やOBに話をきちんと聞いておくこと」というのが良く挙がりますが、私はこれを敢えてやりませんでした。理由は以下の通りです。

①人によって生活や活動、国や地域の捉え方は違う

同じ任地で活動する人でも、例えば中心街に住む人と、郊外に住む人では、買い物や通勤の不便さ、家自体の環境も全く違います。自分も同じ任地に先輩隊員がいますが、生活での悩みの種や不満点は自分と全く異なっているのが実情です。同じ任地でこうなのですから、同じ国の先輩隊員の話が全て自分に合うというのはまずないです。特に途上国は首都、都市と地方では別の国か?と思うぐらい異なります。首都や大都市で活動している人と地方で活動している人の単純比較は危険です。同じ日本人でも、他人の目や考えを通して出た情報には違いないのですから。訓練での帰国隊員の方の話を聞く講座がありますが、私はこれだけで十分だと思います。

②現地についてから、現地を知る時間はたくさんある。

自分は、赴任してから首都にいる最初の1か月と、任地についてから最初の2か月は生活への適応と情報収集に充てると日本にいたときから決めて来ました。最初からどうせ活動なんか出来ないと思っていましたから。そしたら案の定・・・・活動なんか任地来てすぐには出来ません。最初から授業を割り当てられている教員系の隊員ぐらいでしょうか。出来るのは。時間はたっぷりあります。自分の目や耳でしっかりと情報を集め、自分に適した生活や活動を構築していってください。日本で集められる情報なんて現地で実際に得る情報からすれば、路傍の石です。情報収集は任国についてからで十分です。

③途上国はちょっとの外部要因で状況が大きく変わる。

途上国は不安定です。外部要因で状況が大きく変わります。例えば・・・・・・

  • 外国資本の大型スーパーが出来て生活用品の購入には困らなくなった
  • 中国人が進出してきて醤油や味噌は買えるようになった
  • 補助金でWi-fiが出来て、職場でネットし放題

など、2,3年で状況が大きく変わることはあります。3年以上前のOBの方と生活環境が大違いということは多いにあります。

なので、自分は出国前にJICAや外務省からの安全情報、在モザンビーク日本大使館のHPを読んだぐらいです。これで十分です。先輩隊員とは任国についてから嫌でも交流します(笑)それからで十分です。日本にいる間は、日本でしか出来ない事を沢山しておきましょう!!!

ちなみに自分が訓練終了から出国までにやったこと

  • A5ランク和牛とシャトーブリアンを食べる
  • クラブW杯でバルセロナを見に行く
  • 大トロと高級海鮮を食す
  • 繁華街豪遊(アフリカで仕事するんだ!というと女の子食いつきますwww)
  • 美味いラーメン屋、ソバ屋巡り
  • いろいろあった女性たちとの最後の晩餐
  • 親友と杯を交わす

こんなところですね。日本でしか出来ないことをやってください。情報収集は現地で出来るのですから。

おすすめ便利グッズ

今のところ、これと言って持って来れば良かったなというのはありませんが、ただ、現金だけはJICAのいう1500~2000ドルよりは多めに持ってきた方が良いと思います。モザンビークは銀行口座開設が中々進みません。自分は任地に来てからの生活費振り込みが間に合いませんでした。持参金が少ないと困る恐れがあります。またこちらは物の質と管理状態が値段に本当に比例します。リスクはお金を多く払って下げるぐらいのつもりでいた方がいいかもしれません。また生活雑貨は日本と値段がそんなに変わりません。物価が安いと感じることはないと思います。自分は3000ドル持参しました。

その他

活動の様子

私は統計の使い方を教えるということで、モザンビーク北部リシンガ市の国立農業研究所へ赴任しました。しかし研究所の現状を調べていくにつれ、
「自分が日本で実施してきた業務改善や管理業務のスキルを使って、研究所の運営を助けた方が良い。統計はあくまで改善のためのツールの1つ」
という方向へ方針転換し、活動をしています。現在の活動は、

  • 書庫のデータやドキュメント管理の方法確立と整理
  • 英語の気象データをポルトガル語へ翻訳
  • 研究所業務底上げと所長の管理業務削減の計画立案

この3つがメインです。統計はやってません(笑) ただ、統計を使う前にデータの整理ってとても大切なんだ。だからまずデータの整理からやるんだよ!ということを言い続けながら、整理をしています。書類ファイルを買うお金が無いので、最近は新聞バッグを作ってファイル代わりにするのが日課です。

また、排水処理の知識と経験を買われて、別の研究所の排水問題を解決する手助けをすることになりそう。現在調整中。

未来の隊員へのメッセージ

30超えると失敗を恐れるようになりました。
失敗したときの損失や影響などがすぐ頭に浮かんでしまうからです。

仕事だけでなく、恋愛でもそうなります。俺と一緒になったら、この子にとっては・・・・とまずネガティブになってしまいます。

何にもチャレンジが出来なくなっていた自分に気が付きました。

そんな時ふと見つけた協力隊のチラシ。

自分で自分自身を変えられないのなら
いっそ強烈な外からの圧力で自分を変えてみよう。

そう思って応募したのが協力隊でした。

ここでは失敗しても誰も咎めません。
また次の事を考えて実行すればいいだけです。
しかも手を加えられる事は日本にいるよりも沢山あります。

もし日本にいた頃の自分のような方がいたら
協力隊、考えてみたらいかがでしょうか。

おしまい。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。

 

※協力隊インタビュー企画の趣旨はこちら↓

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