12年ぶりに夏目漱石の『こころ』を読みました。
読書の面白い所は、同じ本でも読んでいる時の自分の状況や今までの経験によって感じることが変わってくることですね。
この『こころ』という作品はその醍醐味を存分に味わう事のできる名作。
Kや先生の自殺の原因は諸説あるようですが、私は両者とも
どうしても自分が許せなかった。
ということに原因があるのではと解釈しています。
『こころ』とは?
作品概要
まずは作品の説明とあらすじを簡単に紹介させていただきます。
『こころ』は夏目漱石の長編小説であり代表作の1つ。
「上 先生と私」「中 両親と私」「下 先生と遺書」の3部構成となっています。
1914年4月20日から8月11日まで、『朝日新聞』で「心 先生の遺書」として連載され、同年9月に岩波書店より漱石自身の装丁で刊行されました。
売上総数は2014年の時点で705万500部。これは日本の文学誌では1位の売上です。
参考:Wikipedia
夏目漱石の生涯とこころ
夏目漱石は、1867年2月9日、江戸牛込馬場下横町 (うしごめばばしたよこまち)、現在の新宿区に生まれます。
漱石はその複雑な家庭環境から、学校生活も転校を繰り返しました。
17歳のときに、大学予備門に入学。
ここで、のちに漱石に影響を与えることとなる正岡子規と出会います。
漱石は学業優秀で、特に英語が秀でていました。
東京帝国大学英語学科を卒業し、英語教師を務めたのち、33歳のときに文部省から英語留学を命じられ、渡英します。
帰国後は東京帝国大学の英文科講師となるも、その硬い授業で人気がでず神経衰弱に陥ってしまいます。
そんな折に、当時子規の遺志を継いで『ホトトギス』を経営していた 高浜虚子(たかはまきょし) が、漱石に小説を書くようにすすめました。
1905年に『吾輩は猫である』を執筆し発表。
立て続けに名作を書き続け、作家としての地位を向上させた漱石でしたが、『門』の執筆中に胃潰瘍を患ってしまいます。
療養から復帰した漱石は、1912年、45歳のとき『彼岸過迄(ひがんすぎまで)』を著し、続いて『行人(こうじん)』『こころ』の後期三部作を完成させました。
参考:夏目漱石生い立ち
あらすじ
上 先生と私
「私」が語り手。夏休みに鎌倉由比ヶ浜に海水浴に来ていた「私」は「先生」と出会い、東京に帰った後も奥さんと共に暮らす先生の家に出入りするようになります。
毎月、雑司ヶ谷にある友達の墓に墓参りする先生。
先生には心に闇を抱えているようで、時に「私」に教訓めいたことを言います。
重病の父を見舞いに帰省した「私」は、正月すぎにまた東京に戻り大学卒業後にまた帰省します。
中 両親と私
「私」が語り手。父が腎臓病を悪化させたため、「私」は東京へ帰る日を延ばしました。
容態がいよいよ危機に瀕したところへ、先生から分厚い手紙が届きます。
読み始めて、それが先生の遺書だと気づくと、私は東京行きの汽車に飛び乗りました。
下 先生と遺書
先生の手紙(遺書)。
「私」にあてて書かれたもので、先生の過去や自殺に至るまでの経緯が記されています。
【解説】Kはなぜ自殺したのか?
物語のカギとなるKの自殺。彼が自ら死を選んだ理由は「自分を許すことが出来なかった」こと。
Kは常に精進という言葉を使い、「道」を求める人間でした。
先生との旅の途中でも「精神的向上心のないものは馬鹿だ」と言っています。
Kは「道のためならすべてを犠牲にすべきものだ」ということを第一信条としています。
実際にKは道の為に養父母さえも欺いて事実上自ら勘当されています。
そんなKが、お嬢さんに「恋」に落ちた。いや、落ちてしまった。
物語の流れとしては、先生とお嬢さんの婚約(先生の裏切り)によりKが自殺をしていますが、Kの中には既に「死」というものがありました。
Kの遺書には「もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろう」という意味の文句が書かれていました。
また、先生から「君の心でそれを止めるだけの覚悟がなければ」と言われた時も、
「覚悟、― 覚悟ならないこともない」
と言っています。
つまりKは死ぬことを先生の裏切りの前(お嬢さんに恋をしてしまった時)に覚悟しており、先生の裏切りはきっかけに過ぎなかったのです。
道を求める人間でありながら、恋なんかしてしまった自分が許せなかった、それがKの自殺の原因。
【解説】先生はなぜ自殺したのか?
結論としては先生も自分を許せなかったのでしょう。
先生は自分がKを殺したと考えています。
Kに対する裏切りによって、Kを死に追いやってしまった。
先生自身、過去に叔父たちに裏切られています。
私は他(ひと)に欺かれたのです。しかも血のつづいた親戚のものから欺かれたのです。
私は決してそれを忘れないのです。
私の父の前には善人であったらしい彼等は、父の死ぬや否や許しがたい不徳義漢に変ったのです。、
「決して忘れない」というほど親戚の者たちを恨んでいたいた先生。
その先生自身がKに対して叔父たちが自分にしたことと同じことをしてしまう。そんな自分が許せなかった。
Kを追って自分もすぐに死ぬことを考えたが、妻がいる。
そのため先生は「命を引きずって」生きていました。
明治天皇が崩御になり、妻が「殉死でもしたら」と冗談を口にしたことで、自殺の好機が訪れたと感じ自殺を決行することになりました。
人は自分を許せない時に死ぬ
以上見てきたように、Kも先生も自殺の理由をひとことで言うと「自分を許せなかった」ことだと解釈しました。
【K】
自殺の根本的な原因⇒恋をした自分が許せない
自殺のきっかけ⇒先生の裏切り
【先生】
自殺の根本的な原因⇒Kを裏切った自分が許せない
自殺のきっかけ⇒明治天皇の崩御
パッとストーリーを把握したい人にはマンガがおすすめ