ルワンダには虐殺記念館がいくつかあります。
ルワンダに来たばかりのころに首都キガリにある虐殺記念館に行き衝撃を受けましたが、先日訪問したニャマタという地域の記念館も違った意味で衝撃でした。
ルワンダ虐殺とは?
ルワンダ虐殺(ルワンダぎゃくさつ、Rwandan Genocide)は、1994年にルワンダで発生したジェノサイドである。
1994年4月6日に発生したルワンダのジュベナール・ハビャリマナ大統領とブルンジのシプリアン・ンタリャミラ大統領の暗殺からルワンダ愛国戦線 (RPF) が同国を制圧するまでの約100日間に、フツ系の政府とそれに同調するフツ過激派によって、多数のツチとフツ穏健派が殺害された。
正確な犠牲者数は明らかとなっていないが、およそ50万人から100万人の間、すなわちルワンダ全国民の10%から20%の間と推測されている。
抜粋:Wikipedia
虐殺当時からほとんど手が加えられていない
キガリの虐殺記念館は、キレイな建物の中に時系列で悲劇の経緯や当時の写真が並べられていて、どちらかと言うと「虐殺博物館」といった印象。
一方でニャマタの記念館は歴史からそのまま切り取られたような生々しい場所でした。
建物は記念館の為に建てられたものではなく、事件当時にツチ族(ツチ族は1994年の虐殺の対象となった民族です。)が約10,000人も逃げ込んだと言われる教会が使われています。
この古い教会を記念館としたため、道路を挟んで向かい側に新しく教会が建てられている。
キガリのように説明文などが添えられているわけではないため、スタッフが英語で説明をしながら案内してくれました。
教会の中に入った瞬間、血の気が引きました。
教会の椅子じゅうに、犠牲者の来ていた衣類がかかっていたのです。
どれも土や血にまみれており、中には小さな子供用の洋服もありました。
天井を見ると銃の穴に血で黒く染まったシミ。
奥には民族の証明カードや虐殺に使われた道具などが少しだけ展示されています。
地下に行くとそこにはたくさんの遺骨がありました。
教会のウラには45,000人が眠っていた。
教会を出て裏に案内されると、そこには45,000人以上が眠るお墓がありました。
これも地下へ入ると所せましと並べられた無数の遺骨。
どれも頭蓋骨にひびが入っていたり、頭部が陥没していたり、事件の悲惨な様子が伝わってきてとても息苦しかったです。
お墓を見終えて案内は終了。
全体の所要時間は15分程度でした。
入場料はなく、案内終了後にサインをする場所の横に寄付箱があるためここに任意で寄付をします。
ルワンダに来たら寄ってみて下さい。
正直「ルワンダ=虐殺」のイメージをあまり強く持ってほしくありません。
ルワンダはその歴史を忘れてしまいそうになるほど平和な国です。
ただ、やはり悲劇であれ何であれここルワンダで虐殺が起こったことは事実であり、その虐殺があったからこそ今のルワンダがあるのもまた事実です。
日本にいて戦争を知るべきであるのと同じように、ルワンダに来たら虐殺を知るということは避けて通れないものです。
今までネットや本で情報収集をしたり、キガリの記念館に行って虐殺を「知る」ことはあっても、ここまで虐殺を「感じた」のは初めてでした。
正しい表現かわかりませんが、私はこの記念館に来て良かったと思いました。