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新渡戸稲造『武士道』要約と考察~現代、サムライの精神は死んだのか~

こんにちは、会計士ブロガーの根本(@dujtcr77)です。

みなさんは「武士道」と聞いて何をイメージしますか?

また、今の日本人の魂にも「武士道」は宿っていると思いますか?

今回は新渡戸稲造の『武士道』の解説と、最後に自分なりの考察をまとめました。

全体の流れ

詳細に入る前に、まずはざっくりとこの記事の流れを紹介します。

(1)新渡戸稲造は「日本と海外の架け橋になりたい!」と思い立ち海外に留学。そこでメアリーさんと出会って結婚。

(2)奥さんや周りの人から「日本は宗教教育がないのに道徳観念を持っているのはなぜ?」と聞かれる。

(3)この質問に頑張って答えようとしていたら新渡戸は気が付く。日本人の道徳や正義を形成しているのは「武士道」だと。

(4)武士道は仏教・神道・儒教の影響を受けているハイブリッドな精神で、一言で言うなら「高き身分の者に伴う義務(ノーブレス・オブリージュ)」だ!

(5)武士道には義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義という7つの徳(精神)があるという形で整理できそうだ。

(6)考察・まとめ

新渡戸稲造とは?

新渡戸稲造と聞くと「武士道」や「旧5000円札の人」ということは思い浮かぶもののどんな人物かまで知っている人はあまり多くないようです。

そこでまずは彼がどんな人物だったのかを見ていきましょう。

札幌農学校で学ぶ

1862年、岩手県盛岡市で生まれた新渡戸稲造は、農学を学ぶために札幌農学校(現・北海道大学)に入学します。

「少年よ、大志を抱け」で有名なウィリアム・クラーク博士が初代教頭を務めたエリート校。新渡戸が入学した当初は既に米国へ帰国していましたが、クラーク博士の影響でキリスト教が広まっており西洋のことも多く学びます。

同級生にはキリスト教思想家の内村鑑三(1861~1930年)もいました。

「われ、太平洋の架け橋とならん」

札幌農学校卒業後、新渡戸は帝国大学(現・東京大学)の入試試験を受け、このときに面接で「われ、太平洋の架け橋とならん」という有名な言葉を残しています。

そしてその後に東大を退学してアメリカやドイツに留学します。

また新渡戸はアメリカでメアリー・エルキントン(1857~1938年)と出会い結婚しました。

1891年に帰国した新渡戸は札幌農学校の教授となるも、体調を崩しやむを得ず休職。療養中に英文で書き上げたのが『武士道』(BUSHIDO: The Soul of Japanです。

1900年にアメリカで出版されるとたちまち反響を呼び、フランス語・スペイン語など各国の言語に訳されました。アメリカ大統領セオドア・ルーズベルト(1858~1919年)も徹夜で読みふけるほど感銘を受けたといいます。

『武士道』はなぜ書かれた?しかも英語で?

新渡戸がベルギーの法学者ド・ラブレーの家に招かれた時のこと。散歩の途中でこんな質問を受けます。

ラブレー
ラブレー
日本の学校では宗教教育がないのですか!?
新渡戸
新渡戸
はい、ありません。
ラブレー
ラブレー
宗教教育がない!では日本人はどうやって道徳教育をするのですか?

画像引用:『まんがで人生が変わる!武士道』

この質問に即座に答えることのできなかった新渡戸は考えた末、日本人の善悪や正義の観念を形成しているのが武士道であったことに気が付きます

また、妻のメアリーからもなぜ日本でこのような思想や道徳教育がいきわたっているのかと何度も聞かれたことで『武士道』を書くことを決意しました。

外国の人に日本の精神を教える、という趣旨から英文で書き上げられました。

武士道の要約・解説

武士道とは

新渡戸は武士道を一言で言うと「武士の掟」すなわち「高き身分の者に伴う義務(ノーブレス・オブリージュ)」であると述べています。

武士道は成文法ではなく、また1人の人間によって作られたものではありません。数十年、数百年にわたる日本の歴史の中で、武士の生き方として自発的に醸成され発達したものです。

新渡戸によると、日本の封建制度は源頼朝(1147~1199年)が鎌倉幕府を開いたときです。これにより武士(サムライ)たちが世の中の中心に躍り出ることになります。

武士はもともと戦う事を専門としますが、そんな彼らが世の中の中心に立って好き放題してしまっては社会が成り立ちません。したがって、武士の間でも「フェア・プレイの精神」が求められるようになりました。

このようにして、武士の生活の中に武士道たる崇高な道徳律が生まれました。

武士道の源

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画像引用:『まんがで人生が変わる!武士道』

武士の中で自発的に、とは言っても考え方の源泉がない訳ではありません。

武士道は仏教・神道・儒教の影響を受けています。

仏教

仏教は武士道に運命を穏やかに受入れ、運命に静かに従う心を与えた、と言われています。

具体的には、危険な状況などにおいても常に平静を保ち、生に執着せず死を受け入れることでした。

神道

他の宗教では教わらないような、主君に対する忠義・祖先に対する尊敬・親に対する孝心などの考え方は神道の影響で武士道へ伝えられました。

神道は、武士道の中に忠誠心愛国心を徹底的に吹き込みます。

儒教

新渡戸によると、武士道に最も大きな影響を与えたのは儒教でした。儒教は、古代中国に起こった孔子の思想に基づく教え。

しかし教えを知識として知っているだけでは「論語読みの論語知らず」という諺のように冷笑され、真に重んずるべきは「行動」であるとされていました。

そこで孔子や孔子の教えを受け継いだ孟子にも増して影響を与えたのが「知行合一」を説いた王陽明です。

知行合一とは?

考える事(知)と行動すること(行)は一体であり、本当の知は実践を伴わなければならないということ。

武士道の7つの「徳」

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画像引用:『まんがで人生が変わる!武士道』

武士道には義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義という7つの徳が挙げられます。

徳とは人間の優れた精神性のことで、このように言葉をひとつづつ当てているのは「仁・義・礼・知・心」の「五常」を説く儒教の影響です。

ここでは、これらの徳について1つずつ解説していきます。

「義」義は人の道なり

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「義」は一言で言うと「正義の道理」で人として必ず守らなければならない道のこと。武士の掟の中でも最も重要視されていました。

この「人として必ず守らなければならない道」がどんなものか、武士道でははっきりと定義されていません。

多くの人の解釈や義にまつわるエピソードを例として紹介し、その輪郭を示しているのみです。

最も大事な徳であるからこそ、簡単に言葉にすることは出来ず、また他の徳もあわせて理解したうえで自分たちで考えていかなければならないものなのかも知れません。

林小平は、これを決断する力と定義して、「義は自分の身の処し方を道理に従ってためらわずに決断する力である。
死すべきときは死に、討つべきときには討つことである」と語っている。

真木和泉守という武士は、「武士の重んずるところは節義である。節義とは人の体にたとえれば骨に当たる。
骨がなければ首も正しく上にのってはいられない。手も動かず、足も立たない。
だから人間は才能や学問があったとしても、節義がなければ武士ではない。
節義さえあれば社交の才など取るに足らないのだ」と述べている。

「仁は人の良心なり、義は人の道なり」といった孟子が、その「仁」と「義」がすたれた世を見て嘆き、こういったという。
「その道を捨てて顧みず、その心をなくしても求めようともしない。哀しいかな。鶏や犬がいなくなっても探すことはできるが、心をなくしては探しようもない」と。

引用:『いま、拠って立つべき”日本の精神”武士道』

「勇」義を見てせざるは勇無きなり

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孔子は『論語』で「義を見てせざるは勇なきなり」と説きました。これを裏返すと「勇」とは「正しきことを為すこと」である。

義によって裏付けられていない行動はただの向こう見ずです。実際に死に値しないもののために死ぬことは「犬死」とされました。

ちなみにたまに混同される「武士道は死ぬことと見つけたり」は『葉隠』における記述ですので注意しましょう。

また同時に「勇」は何事にも動じない精神のことでもあります。

江戸城の偉大な築城者であった太田道灌が槍で刺されたとき、道灌が歌の達人であることを知っていた刺客は相手を突き次のような上の句を詠みました。

かかる時 さこそ生命の 惜しからめ
(こんな時はさぞ命が惜しいことだろう)

これを聞いた道灌は瀕死の状態にもかかわらず、

兼てなき身と 思い知らずば
(もともと死んでいる身だと思っていれば(命など惜しくない))

と下の句を続けたと言われています。

「仁」窮鳥懐に入ずれば、猟師もこれを撃たず

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「仁」は「他者を思いやる心」のこと。

「義」と「勇」が男性的なものであるとすれば、「仁」は優しく柔らかい女性的な徳でもあります

そのためサムライたちは正義や公正さを持つことなしに、むやみに慈愛に溺れる事は戒められました。伊達政宗の残した以下の言葉はこのことを表しています。

義に過ぎれば固くなる。仁に過ぎれば弱くなる

「武士の情け」とは単なる甘さではなく、常に正義に対する適切な配慮を含んでの慈愛だったのです。

「礼」泣く人とともに泣き、喜ぶ人とともに喜ぶ

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「礼」は他を思いやる心が外へ表れたものでなければならない、と新渡戸は言います。

これは表面上の礼儀として単独で存在するものではなく、仁や義など他の徳と一緒になった時にはじめて高い徳へとつながっていくものです。

「礼」の最高の形は、愛に近づくもの。「礼は寛容にして慈悲深く、人を憎まず、自慢せず、高ぶらず、相手を不愉快にさせないばかりか、自己の利益を求めず、憤らず、恨みを抱かない」ものであるとも言えます。

「礼」を育てる訓練の例として新渡戸が挙げたのが「茶の湯」の作法。優雅な作法によって体の中に力を蓄えることによって、精神修養の実践となるのです。

また「礼」は優しさによって動くものであるから、常に優美な同情となって表れます。すなわち、泣く人とともに泣き、喜ぶ人とともに喜ぶという事です。(それは時に外国人にとっては「ひどくおかしな」ものに見えるようですが。)

ちなみに次の項の「誠」。これがなければ礼は茶番であり芝居であるといい、伊達政宗も「度が過ぎた礼は諂(へつら)いとなる」と言います。

「誠」武士に二言はない

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「誠」はその字の通り「言」ったことを「成」すということ。

嘘をついたり、ごまかしたりすることは卑怯者とみなされ、「武士の一言」すなわちサムライの言葉であるということはそれだけでその言葉が真実であることを証明しました。

それほど言葉に重みがあるため、武士の約束は通常証文なしに決められました。証文を書くことは武士の面子を汚されることでした。

さらに武士が八百万の神々や自分の刀にかけて誓いをたてるということは命がけのものだったのです。

しかし「誠」はただ本当のことを言うという単純なものではありません。たとえば日本人に「私が嫌いですか」「あなたは胃の調子が悪いですか」などと尋ねれば嘘をついて「いや、好きですよ」「元気です」と答える人が多いでしょう。

これは相手に対して礼を失することのないための嘘であり、「誠」の徳に背くことにはならないと新渡戸は考えています。

「名誉」命以上に大切な価値

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名誉は、人間の尊厳であり用事の頃から教え込まれたものでした。

しかしこの名誉は「笑われるぞ」「名を汚すなよ」「恥ずかしくないのか」などの言葉により逆に「恥」の感覚を教えることで養われます。

孟子の「恥悪の心は義の端(はじめ)なり」やカーライルの「恥は、あらゆる徳、立派な行い、善き道徳心の土壌である」などの言葉ように恥を知るからこそ他の徳目を理解し実践することができるのです。

時に武士はこの名誉を過度にとらえて、ささいなことでも「恥をかかされた」と怒ることがありましたが、これはただの「短気」であり立派な徳とは言えません。

このように行き過ぎた、いわば病的な状態を抑えるためには「寛容」と「忍耐」が必要とされます。

「ならぬ堪忍、するが堪忍」という言葉があります。「どうしても許すことが出来ないと思う事を、こらえて我慢するのが本当の堪忍である」という意味です。

「忠義」武士が個人よりも大切にするもの

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「忠義」は自分を犠牲にして主君に仕えるということです。

武士道を育んだ封建制の日本では、主君と家臣の間の上下関係が人間関係の中心であり、その関係性を支えていたものこそが「忠義」です。

これは日本の武士に特有のもので、新渡戸は以下のように述べています。

私たち日本人が抱く忠義の観念は、他の国ではほとんどその賛成者を得られないだろう。

それは私たちの観念が間違っているからではなく、いまや他の国では忠義が忘れ去られていたり、他のいかなる国も到達できなかった高さまで日本人が発達させたからである。

武士が西洋の人に受け入れがたい理由は、武士道が個人よりも公を重んじるという点にもあります。

西洋の個人主義は、父と子、夫と妻に対して別々の利害を認めています。しかし武士道においては、一族や家族の利害は一体不可分のものと考えられました。

それだけでなく、個人は国家とも結び付けられました。つまり個人は国家を担うための構成員として存在しています。だからこそ、個人は国家のため、あるいはその合法的権威のために生き、死ななければならないと考えられたのです。

現代において「武士道」は死んだのか

結論から言うと、現代のわれわれの魂にも武士道は宿っていると思います。

武士道は、一部時代錯誤な考え方もあります。

例えば死について。現代ではどんな理由であれ「死ぬ」ということは最悪の選択肢、というより選択肢にすら入れてはならないものと考えられるのが一般的ですが、武士道の世界では名誉や忠義には命を賭けていました。

だからといって武士道が今の世の中にまったくなくなってしまったわけではありません。

日常のあらゆるシーンで「徳」はみる事ができる

例えば悪い事をしようとしている人を見つけた時。注意したら逆ギレされるかな…と思ったけど「やめなよ」と言った。そこには正「義」「勇」気があります。

「仁」を持って部下に接している上司やリーダーたち、友達と一緒になって悲しい事に泣き「礼」を尽くす人、言った事は守る「誠」の精神を持った人。

恥ずべき行為をしたくないという「名誉」の心を持っている人も多いでしょう。

自分を救ってくれた、自分を信じてくれた恩人に「忠義」を尽くす人も決して珍しくはありません。

私たちの中に、そして私たちの周りには武士道の「徳」が、それが生まれた時とは少し形を変えて確かに存在しています。

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さいごに

今回紹介したのは、武士道における主要なエッセンスであり『武士道』を満遍なく要約したものではありません。

また、まとめ部分において出来る限り主観は抜いたつもりですが私の解釈によるものです。

なので是非『武士道』そのものを手に取って読んでみて頂きたいと思います。

武士道 (PHP文庫)

武士道の訳はいくつか出版されていますが、個人的にはPHP文庫のものが読みやすくおススメです。

武士道 (岩波文庫)

こちらの岩波文庫のものは表現が古く、読みずらいと感じてしまいました。

マンガで武士道

また以下のようなマンガでざっくり理解してから上の訳本を読むのもおすすめです。

 

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