読書

重松清『とんび』感想・レビュー~電車の中で読んでしまった私は本当に大バカ者だよ~

こんにちは、アフリカ在住ブロガーのぴかりん(@dujtcr77)です。

今回は重松清さんの『とんび』を紹介したいと思います。

ホリエモンこと堀江さんが著書『ゼロ』の中で以下のように書いている本です。

刑務所に収監されていた間、僕は1000冊に及ぶ本を読んだ。

小説からノンフィクション、伝記物から歴史物、ベストセラーからマニアックな学術書まで、せっかくの機会だと思ってとことん読み漁っていった。

その中で、僕がもっとも感動した小説はなにか?これは間違いなく、重松清さんの『とんび』である。

引用:堀江貴文『ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく 』ダイヤモンド社

これを見て即買いしたのですが、どうしても気分が乗らず1年弱の詰ん読。

たいしたきっかけもなく『とんび』を読み始めた訳です。

・・・

 なぜ今まで読まなかったのか?

いやー、危なかった!
この本を買ってから読むまでに死んでたら人生少し損してたわ。

これから本書を紹介するわけですが、結論から言うとかなりおススメの本です。
ものすごく泣けます。思いっきり泣けます。
それも安っぽい涙の誘い方ではなく、人間の温かさみたいなものが心からジワーっと染みて、気が付いたら涙が流れてくる作品です。

ちなみにネタバレ要素があるのでお気を付けください。

『とんび』はどんでん返しのあるタイプの作品ではないので、ネタバレ状態で読んでもその感動が半減するとかそういうレベルの本ではありません。
ただ、気にする方もいると思うので念のため。

『とんび』のあらすじ

乱暴で、がさつで、悪いヤツじゃないんだけど不器用な表現しかできないヤスさん。
運送会社で働くヤスさんは、突然こころを入れ替えたようにまじめに働き始めました。

昭和37年の夏の終わり、28歳のヤスさんは生涯最高の幸せに包まれます。
結婚3年目にして、妻の美佐子さんが待望の子どもを授かったのでした。

長男アキラが無事に誕生し、一家3人で幸せに暮らす日々は突然終わりを告げます。
事故によって美佐子さんは亡くなり、ヤスさんとアキラ2人での父子の生活がはじまりました。

アキラへの愛の大きさゆえに、時に暴走し途方に暮れるヤスさん。

美佐子さんを失った悲しみを抱えながら、周りに支えられ不器用ながらも愛する息子のアキラを真っ直ぐに育てた、感動の物語。

主な登場人物

ヤスさん(市川安男)

運送会社で働く本作品の主人公。

母はヤスさんの出産直後に亡くなり、父は他の女を作って逃げたため母の親戚に引き取られた。

「親の愛」というものを知らずに育ったヤスさんは、もともとの不器用な性格もあり自分の息子アキラにもなかなか素直に向き合えない。

美佐子さん

ヤスさんの妻。
優しさの中に芯のある、とてもできた女性。

アキラが幼いころに、ヤスさんの職場でアキラをかばい事故死してしまう。

アキラ

ヤスさんと美佐子さんの子ども。

母親が死んだのは「事故死」とだけ聞かされて育つ。

照雲(しょううん)

ヤスさんの幼馴染。通称「ナマグサ」。

海雲(かいうん)

照雲の父で薬師院の住職。

ヤスさんと照雲は小さいころよく海雲和尚にこっぴどくしかられた。

ヤスさんがおそれる数少ない人の1人。

感想

感想に入る前に

できれば読んで感動した本のレビューって、自分の言葉で書きたいなという思いがあります。

でも、今回紹介する『とんび』はそれが非常に難しい。

著者の重松清さんが綴った1つ1つの文章があまりに美しく秀逸なんです。
それを自分の言葉に直して伝えるというのは、完成された絵画に筆を加えるような、最高の料理にソースぶっかけるような、そんな恐ろしさがあります。

今回の記事の一番の趣旨は、まだ『とんび』を読んでいない人に是非本を手に取ってもらえたらとその魅力を伝えること。
だとしたらその魅力を伝えるのは重松さんの表現を殺さずに伝える事だろうと考えました。

なので今回はあえて引用を多めで感想を書いています。

重松さんの柔らかい表現、美しいことば選びなども合わせてお楽しみください。

涙腺崩壊ポイント多すぎて序盤から油断できない

 「この作品めっちゃ泣けるよ」

こう紹介されて、映画でも本でも、見てみる気になりますか?
私はなりません。

なんとなく「泣ける」と聞くと「お涙頂戴の作品、ノーサンキュー」と拒否反応を示してしまう、ひねくれ者なのです。

そんな私ですがやはりこの作品を紹介するのに「泣ける」という要素を抜かすわけにはいきません。

「泣ける」というより「泣きっぱなし」?

普通小説や物語って、クライマックスあたりで泣けるポイント来ますよね?
『とんび』は油断できないんですよ、序盤から飛ばしてきます。

美佐子さんが亡くなってからおねしょが増えたアキラ。
ママがいない寂しさから来るアキラの変化に悩むヤスさん。

そんなヤスさんの悩みを見抜いて、ヤスさんの幼馴染・照雲の父である海雲が雪の降る寒い朝にアキラとヤスさんを連れて海へ行きました。

そこで寒そうにするアキラに海雲和尚が言ったセリフ。

アキラ、おまえはお母ちゃんがおらん。

ほいでも、背中が寒うてかなわんときは、こげんして、みんなで温めてやる。
おまえが風邪をひかんように、みんなで、背中を温めちゃる。

ずうっと、ずうっと、そうしちゃるよ。

ええか、『さびしい』いう言葉はじゃの、『寒しい』から来た言葉じゃ。
『さむしい』が『さびしい』『さみしい』に変わっていったんじゃ。

じゃけん、背中が寒うないおまえは、さびしゅうない。
のう、おまえにはお母ちゃんがおらん代わりに、背中を温めてくれるものがぎょうさんおるんじゃ、それを忘れるなや、のう、アキラ…」

引用:重松清『とんび』(角川文庫) 以下引用元同じ

海雲和尚の放った言葉を1文1文読みながら、こちらまで心が温かくなってくるようで。

この和尚ね、本当にズルい人で、幾度となく泣かせるんですよ。

もう助演男優賞は間違いなくこの人ですね。

この後も、寂しがるアキラに悩むヤスさんにこう語りかけます。

「雪は悲しみじゃ。悲しいことが、こげんして次から次に降っとるんじゃ、そげん想像してみい。
地面にはどんどん悲しい事がつもっていく。色も真っ白に変わる。
雪が溶けたあとには、地面はぐじゃぐじゃになってしまう。
おまえは地面になったらいけん。海じゃ。
なんぼ雪が降っても、それを黙って、知らん顔して吞み込んでいく海にならんといけん

(中略)

「アキラが悲しいときにおまえまで一緒に悲しんどったらいけん。
アキラが泣いとったら、おまえは笑え。
泣きたいときでも笑え。
二人きりしかおらん家族が、二人で一緒に泣いたら、どげんするな。
慰めたり励ましたりしてくれる者はだーれもおらんのじゃ

ヤスさんの不器用な優しさに涙腺崩壊

もちろん我々の涙腺を攻めてくるのは和尚だけじゃありません。

ヤスさんの不器用な優しさがまた心にしみるんだ。

ヤスさん行きつけの小料理屋『夕なぎ』のママ・たえ子さんに実は子ども(泰子)がいることが判明。
結婚をひかえた泰子さんが、結婚前に会いたい、と『夕なぎ』に会いに来ました。

その帰り道、不器用でふだんは面と向かって優しいことばなどかけられないヤスさんが最後に泰子さんの目をみて言いました。

幸せになりんさい。金持ちにならんでもええ、偉いひとにならんでもええ。
今日一日が幸せじゃったと思えるような毎日を送りんさい。
親が子どもに思うことは、みんな同じじゃ、それだけなんじゃ」

のう、そうじゃろう ー 夜空をまた見上げた。
星になった美佐子さんが、こっくりとうなずくのが、確かに見えた。

また方言がいいですよね。

人間の微妙な気持ちを描写するのが絶妙にうまい

人の感情と言うのは、ときに言葉で表現するのは非常に難しいものです。

それを著者の重松さんは、絶妙な例えを使って表現します。

例えば「納得できない」という感情を表現するとき。
以下のような表現だと「だいたい納得できてるんだけど、何かがひっかかる」というニュアンスが出ます。

嘘や強がりを言っているとは思わない。

だが、なるほど、とはうなずけない。

割り算の「余り」のようなものが、胸の奥にある。

一方、おなじ「納得できない」でも、こちらはどうでしょうか。

スジは通っている。きれいすぎるぐらい通っているが―それはしょせん「理」のスジだ、とヤスさんは思う。

「情」のスジが通らない限り、うなずくことはできない。

こっちの場合は「理屈としては納得しているのだが心情的に呑み込むことはできない」という感情を読み取ることができます。

ストーリーだけでなく、こういった表現1つ1つを味わうのもこの小説の楽しみ方のひとつです。

さいごに

私はこの作品の後半を電車の中で読むという失態を犯してしまいました。

もう、完全にバカです。

涙がジュワっと染みてきては「やばいやばい」と外の景色を見てごまかし、また読み始める。

もうね、拷問でした

みなさんは決してマネしないでください。

ひとりで思いっきり泣ける場所で、最初から最後まで読んでくださいね。

関連記事⇒『とんび』を買うきっかけになった堀江さんの『ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく』の感想記事です。

名言

最後におまけで、心に響いた登場人物たちの名言を紹介します。

ヤスさん

「のう、由美さん。また備後に遊びに来んさいや。

正月でもええ、春でも夏でもええ、なーんもない田舎町じゃけど、なーんもないところがええんじゃ、田舎は

ケツからげて逃げる場所がないといけんのよ、人間には。

錦を飾らんでもええ、そげなことせんでええ。

調子のええときには忘れときゃええ、ほいでも、つらいことがあったら備後のことを思い出せや。

最後の最後に帰るところがあるんじゃ思うたら、ちょっとは元気が出るじゃろう、踏ん張れるじゃろうが

一つだけ言うとく。健介のことも、生まれてくる赤ん坊のことも、幸せにしてやるやら思わんでええど。

親はそげん偉うない。

ちいとばかり早う生まれて、ちいとばかり背負うものが多い、それだけの違いじゃ。

子育てで間違えたことはなんぼでもある。悔んどることを言い出したらきりがない。ほいでも、アキラはようまっすぐ育ってくれた。

おまえが、自分の力で、まっすぐに育ったんじゃ。

「親が子どもにしてやらんといけんことは、たった一つしかありゃせんのよ」

「…なに?」

「子どもに寂しい思いをさせるな」

海になれ。

遠い昔、海雲和尚に言われたのだ。

子どもの寂しさを呑み込む、海になれ。

なれたかどうかはわからない。それでも、その言葉を忘れたことはない。

たえ子さん

しみじみと言うたえ子さんは、由美さんが離婚経験者だということや、子どもが一人いることを聞かされたあとも、「山あり谷ありのほうが、人生の景色がきれいなんよ」とあっけらかんと笑う。

照雲

「ヤス、今夜は呑め、ええけん吞め。今夜呑まんと、なんのために肝臓があるんやらわからんど」

 

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