デカルト『方法序説』をわかりやすく要約・解説!

こんにちは、根本(@dujtcr77)です。

デカルトの『方法序説』は、「我思う、ゆえに我あり」という有名な言葉が書かれた哲学の本です。

紙の本では100ページちょっとであるにもかかわらず、なかなか読み応えのある本で、「難しくて挫折した」という声も聞きます。

今回はこの『方法序説』を「ちょっとウザいデカルト」と協力して解説しました!

ルネ・デカルトとは

デカルト
よろしくー♪

1596年、フランスのラ・エーで生まれたデカルトは、10歳の時にイエズス会が創設したラ・フレージュ学院に入学。

ここには優秀な生徒や教員が集められ、語学や論理学など様々な学問に触れました。デカルトはそれだけでは飽き足らず、錬金術や占星術などの本も読み漁ります。

そしてデカルトはポワチエ大学へと進学するも、自分の求める学問を見つけることは出来ませんでした。

そこで「書物」を捨て、真理を求めて長い旅に出ました。

第1部 学問に関する考察

デカルト
子どものころからメッチャ勉強してきて気がついちゃったんだけどさ…

書物だけだと真理たどり着かなくね?

てなワケで、旅に出て色んな人に会って色々な経験をしてみよう!

リアル書物のあとは「世界という名の書物」や~(彦摩呂風)

デカルトは子供のころから文字による学問に非常に親しんできました。

学問によって、人生に有益なすべてのことについて明晰で確実な知識を獲得できると聞かされていたため、学問に大きく期待をして励んできました。

書物による学問の限界

しかし書物を使って勉強すればするほど、自分の無知を知らされるばかりでデカルトの求める学問にはたどり着きません。

彼の求める学問とは、ひとつの事物にはひとつの真理があるといったような、明晰判明なものでした。

※ただしデカルトは書物を軽んじた訳ではありません。『方法序説』の中ではこのように語っています。

すべて良書を読むことは、著者である過去の世紀の一流の人々と親しく語り合うようなもので、しかもその会話は、かれらの思想の最上のものだけを見せてくれる、入念な準備のなされたものだ。

しかし若くから熱心に勉強していたデカルトは書物による学問には十分に時間を費やしたと判断しました。

というのも、あまり書物に時間を費やしすぎると、現代において行われていることに無知になると考えていたためです。

デカルト、旅に出る

そしてある時、デカルトは「文字による学問」に見切りをつけて旅をはじめます。

さまざまな人たちと関わり、またさまざまな経験をして「世界という大きな書物」から真理を見出そうと考えたのです。

それでもデカルトの求める真理にはたどり着きませんでしたが、以下の事を発見するに至りました。

われわれにはきわめて突飛でこっけいに見えても、それでもほかの国々のおおぜいに人に共通に受け入れられ是認されている多くのことがあるのを見て、

ただ前例と習慣だけで納得してきたことを、あまり固く信じてはいけないと学んだことだ。

第2部 探求した方法の主たる規則

デカルト
色んな学者が「あーでもない、こーでもない」って考えたことは結局ただの寄せ集めじゃん?

ぶっちゃけしっかりしたヤツが1人で考えた方が一貫性もあるし真理に近いはず。

継ぎはぎの洋服よりも優秀なデザイナーが1人でつくった洋服の方が完成度高い、みたいな感じよ。

つーわけで今までの考え方ぶっ壊して、シンプルな4つのルールに基づいて考えてみよう!

ドイツで思索にふける日々

デカルトは三十年戦争のためにドイツの呼び寄せられていました。

戦のない冬の間、冬営地で十分な時間があったデカルトは、ひとり部屋にこもって思索にふけり、ある考えに至りました。

多くの学者の考えの寄せ集めによる学問よりも、1人の良識ある人間による推論の方が真理に近いのではないか。

しかし今までと同じ方法では真理にたどり着きません。

どうすれば理性を正確に使って考える事ができるのか?

自身の思想改革へ

思想を改革するにはまず今までの考え方を捨てなければなりません。

これは建築に例えると、建物の取り壊しにあたります。
倒壊の恐れがある建物や、土台が不安定な時、しっかりとした家を建て直すには取り壊しをする必要がある。

つまり今まで培ってきたものをすべて取り除く必要があるのです。

とはいえ、そのために世の中すべての基盤を取り除くことは極めて不合理であると考えました。

不確かな理論という基盤のなかにも学校教育は確立され、一定の秩序も保たれている。
これをすべて壊してしまったら世界は混乱してしまいます。

そこでデカルトは、自分自分がこれまでに受け入れて信じてきた見解については全てきっぱりと取り除いてみようと考えました。

でも、どうやって進もう?

問題となるのは、今までの見解を取り除いたあと、どうやって物事の真偽を判断し、正しく理性を導いていくかということです。

デカルトは、真理を探究する方法として、論理学・解析・代数の考え方にヒントを見出すも、どうも複雑でどれもそのまま使えそうにはありません。

複雑すぎる法律は法の目をくぐりぬけ安く、またシンプルな法律の方が民衆は従いやすい。

これと同じように真理を導くための方法もシンプルなもので十分だと考え、以下の4つの規則を作りました。

4つの規則

明証性の規則

第一は、わたしが明証的に真であると認めるのでなければ、どんなことも真として受け入れないことだった。

デカルト
疑いあるものを前提に考えたら、そのあと崩壊しちゃうかもしれない!

慎重にね。注意して即断と偏見は避けよう。

分析の規則

第二は、わたしが検討する難問の一つ一つを、できるだけ多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること。

デカルト
複雑な問題でも、分割・分類すれば考えやすくなるんやで。

総合の規則

第三は、わたしの思考を順序に従って導くこと。

デカルト
単純でわかりやすいところからはじめて、難しいところは徐々にね。

枚挙の規則

そして最後は、すべての場合に、完全な枚挙と全体にわたる見直しをして、なにも見落とさなかったかと確信すること。

デカルト
はい、見落としありませんかー?

第3部 道徳上の規則

デカルト
考えてる間にも生活していかなきゃいけないわけだから、仮のルールを作るか。

とりあえずこの3つのルールに従って生きていくぜ!

家を取り壊し立て直すにしても、その間の仮の住まい、すなわち「仮の判断基準」が必要だと考えました。

それは以下の3つの格率で表されています。

第一の格率

第一の格率は、わたしの国の法律と慣習に従うことだった。

デカルト
宗教は変わらず守り続けるとして…あとは周りの良識ある人に従えば良っか!

ちゃんとした人たちに従っておけば大きな失敗はなさそうだしな。

まあ極端なのはダメだね。穏健な考え方が大事。

第二の格率

わたしの第二の格率は、自分の行動において、できるかぎり確固として果断であり、どんなに疑わしい意見でも、一度それと決めた以上は、極めて確実な意見であるときに劣らず、一貫して従うことだった。

デカルト
森で迷った時にさ、グルグル回ってたらいつ抜け出せるかわからないよね?

とりあえず真っ直ぐ歩き続ければさ、行きたい場所じゃないにしても森からは抜け出せるよね。森で迷い続けるよりよっぽどマシだよ。

第三の格率

わたしの第三の格率は、運命よりむしろ自分に打ち克つように、世界の秩序よりも自分の欲望を変えるように、常に努めることだった。

デカルト
自分のいる環境とか、才能のこととか言ってても始まらない!

自分で変えることが出来るのは自分だけさ。

それがわかってれば余計なことに執着しなくて済むしラクだよ。

再び旅へ

炉部屋でひたすら考え続け、とりあえずの自分のスタンスを確立したデカルトは、これ以上また一人で考え続けるよりも、人々と交わる方が良いと考えて再び旅に出ました。

旅は9年間続くことになります。

この旅の中でデカルトはイタリアやフランスの各地で社交と研究の日々を送り、観察と経験を積んでいきました。

第4部 神の存在と人間の魂の存在を証明~我思う、故に我あり~

デカルト
真理にたどり着くには少しでも疑わしいものは排除!

これもダメ。あれもダメ…もう何も確かなものなんてないんじゃないの?

いや、待てよ?

こうして疑い、考えている自分は確かに存在する。

という訳でみんなお待たせ!例のアレ行くよ?…ゴホン。

「我思う、故に我あり」(キマッた!)

方法的懐疑

旅を終えたデカルトはオランダに移り住み隠遁生活をはじめます。

そして真理探求のため、少しでも疑いのあるものはすべて「偽」すなわち誤りとして廃棄していきました。

例えば感覚。感覚は時にわたしたちを欺くため、感覚が想像させる通りのものは何も存在しない。
推理・推論だって間違えてしまう可能性があるため捨て去りました。

さらには、私たちが目覚めている思考はすべてそのまま眠っている時にも現れうるため、自分の精神に入っていたすべては、夢の幻想と同じように真ではないと仮定しました。

デカルト
今こうしてこの記事を読んでいるのも、夢かもしれないよ。

そんな訳ないって?じゃあ「夢じゃない」って証明できるかな?

このように、少しでも疑いのあるものは「偽」であるとして排除し、最後に残った疑い得ないものが真理であるとする考え方を「方法的懐疑」と言います。

我思う、ゆえに我あり。(コギト エルゴ スム)

「方法的懐疑」によって考えているときに1つの事に気が付きます。

このように全てを「偽」として考えている間も、そう考えているわたしは必然的に何者かでなければならない。

そして「我思う、ゆえに我あり。(ラテン語で”コギト エルゴ スム”)」というこの真理を求めていた哲学の第一原理として受け入れました。

さて、デカルトのゴールは自分の存在を確かめることではありません。

ここからさらに「神の存在証明」をすることによって、人間の認識の確実性を確かめようとします。

神の存在証明

デカルト
なんで不完全なはずのボクが完全な存在である「神」を認識できてるんだ?

自分は不完全なんだから自分で完全なモノを知ることは出来ないはず。

ということは、完全なるものの認識をを与えたのは完全なる存在、つまり「神」そのものしかありえないじゃん!

  1. 何かを疑っている「私」は不完全な存在だ。
  2. そんな不完全な「私」は完全である「神」の存在を知っている。
  3. なぜ不完全な存在である「私」が完全なるものを認識することができたのか?
  4. 不完全である「私」が、自分で完全なるものの存在である「神」にたどり着くことは不可能だ。
  5. つまり完全なるものの概念は、完全性を持つ存在、「神」自身から与えられたものだ。

こうして神の存在の証明をしたデカルトは、神から与えられた完全という生得観念をもとに理性的に認識したことはすべて正しいと結論付けました。

まとめ

林 修先生も大きな影響を受けた本

「いつやるか?今でしょ!」でおなじみ、東進ハイスクールの林先生も『方法序説』に大きな影響を受けています。

受験生を見ていても、あまりにも方法を考えないでなんとなくやっている生徒が多い。
しかし、学問はとりあえず疑って、その中で自分なりの方法を確立していくことが大切であると言っています。

特に第三の格率「運命よりむしろ自分に打ち克つように、世界の秩序よりも自分の欲望を変えるように、常に努めることだった。」に強く印象を受けており、

林先生なりに「優秀な人間は環境に不満を言わない」と解釈されています。

参考:スミスの本棚

『方法序説』が教えてくれること

デカルトの方法序説を読んで役に立つことは「問題への取り組み方」だと思っています。

林先生もおっしゃっているように、やり方をそのまま真似るのではなく、ましてや与えられた答えをそのまま鵜呑みにするのでもない。

自分が直面した問題に、徹底的に向き合い、考え、自分なりの解決方法を探っていく。

そのために必要な考え方や姿勢をこの本は教えてくれます。

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さいごに

いかがだったでしょうか?

私自身、学生時代この本に挑戦して挫折した経験から、同じような人の参考になればと思いこの記事を書きました。

『方法序説』を読む際の補助輪のような役割を果たしてくれたら嬉しく思います。

是非この補助輪を使って本書を読み進めていってみて下さい!

デカルト
ここまで読んでくれてありがとう。

是非ボクが書いた『方法序説』も読んでね!

またねー♪

 

 

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